研究日誌(2022/4/11)『こころの病いときょうだいのこころ: 精神障害者の兄弟姉妹への手紙』より。

■『こころの病いときょうだいのこころ : 精神障害者の兄弟姉妹への手紙』(滝沢武久著、京都:松頼社、2017)より。手紙に答える形での質疑応答から抜粋しておく。

Q「医師や支援者からは症状が安定してよくなっていると聞きましたが、発病前とはほど遠く、もどかしい思いがします。本人に多くを求めすぎなのでしょうか?」

A: 私もソーシャルワーカーになってから、家族やきょうだいの方からよくこのような意見を聞きました。たしかに、家族・きょうだいからすれば、発病する前の元気な本人に戻ることが「病気が治る」ことだと考えるのは、私にもよくわかります。一方で、医師や支援者は、本人が医療・福祉にかかってからの関係ですから、本人の状態の悪いときとくらべて「よくなっている」と見るのでしょう。けれども、この見方の違いだけのために、医師や支援者との関係が悪くなってしまっては本人のためにもなりません。はたして「回復する」ということを、どのように考えたらよいのでしょうか。

 精神科医はこころの病が「完治」するとは考えません。病いの原因がわからないことと、ふたたび状態が変化することもあるからです。だから精神医療では、投薬やカウンセリングを受けながらでも、精神状態が安定していることで良しとする「寛解」という表現を使います。発病する前の状態に戻って欲しいと願う家族・きょうだいには、医師や専門家の見方はなかなか受け入れにくいことかもしれません。しかし、それよりも本人にとって大切なのは、現在の生活ぶりとこれからの生き方です。‥‥」(p.156)

研究日誌(2022/3/19)フッサール他者論、リシールの空想身体論、ファンタシアを経由して間身体性へ?

■「「間身体性」の近さと隔たりー間身体性の倫理学の構想(2)ー」(坂本秀夫著、跡見学園女子大学文学部紀要、第54号:125-144、2019)を読むの巻(2)

 二度目に読んで、何となく分かってきた。その間、参照文献に挙がっていた、Richir, M. (2006). "Leiblichkeit et phantasia", in Psychotherapie phenomenologique (pp. 35-45)と、坂本秀夫『他者としての身体』(ブイツーソリューション、2009)を読んだためもあるが。

 以下に、必要部分を抜粋して置く。

フッサールは「知覚的空想(perzeptive Phantasie)」という概念を導入する(ⅩⅩⅢ, Text Nr.18)。これは矛盾した概念ではない。この概念における「知覚」とは像物体のWahrnehmungではなく、像客体のPerzeptionであり、後者は実在を措定しない、いわば中和化された知覚だからである。リシールによれば‥‥」(p.134)

「他者身体の構成は、像意識とは別の準現在化作用である「知覚的空想」の働きにその可能性が求められねばならない」(ibid)。

「原所与性としてのファントムを基盤として空想が作動し、空想作用によって想像力が起動する。ところが、ひとたび起動した想像力は空想作用が意味生成の次元で垣間見た形象化しえぬものをおのれの直観対象として形象化するために、空想を「知覚的外見(apparence perceptive)」に変様せざるをえない。すなわち、想像力は自ら疑似措定した対象の「像(image)」を横断して志向的に思念するのだが、この「像」はもともとも純粋空想の「原-像」ではなく、志向的に思念された対象の像なのである。これが空想から想像への「建築術的位相転換(la transposition architectonique)」(ibid., 40)の機制である。この位相転換を逆に辿れば、知覚的空想が可能となる。知覚的空想の本質は現実の知覚(Wahrnehmung)を空想に(想像ではない)変様することにあるからだ。」(p.136)

→この段落、再読してみて何となく分かってきた。

フッサールは知覚的空想の事例として、『リチャード三世』を挙げている(ⅩⅩⅢ,515)。」(ibid.)

「舞台上とはいえ、登場人物の内面性は直観において形象化不可能であることは、現実における他者との出会いと変わらない。‥‥私が他者の生き生きした眼差しの「核心部」に「知覚する」もの、それは他者の形象化不可能な知覚的空想だからである。‥‥知覚的空想において「実在的なるものと虚構的なるものの彼方(あるいは手前)に」おいて知覚(Perzeption)されている何ものか、それは「根源的に形象化不可能なもの」、他者の「生き生きした身体性」に他ならない。」(p.137)

 また、「おわりに」から、結論部分を抜粋する。

「知覚(Wahrnehmung)は他者の身体を像物体(Korper)として、像意識はそれを像客体・像主題として統握する 。像意識において機能しているのは志向的想像力であり、その働きは対象を「像」化することにある。それゆえ像意識において現出する他者の物体身体(Korperleib)には、生き生きした身体性 (Leiblichkeit)が現れることはない。身体 (Leib)と物体(Korper)の差異は、この身体に宿る生にこそ求められるのだが、この生は形象化不可能だからである。形象化不可能なものの次元、それは意味発生の原初的領域であり、そこではじめて現象が現象化する意識の最古層の次元に属する。知覚的空想によってこの次元への接近の可能性が開かれる。ただし、空想はつねに「像」に位相転換される危険に晒されているのだが。(p.138)

→これで見ると、私のように他者の実在を理解できないということになるのは、知覚的空想をむりに像に転換しようとして、論理的に不可能であることに気づくから、ということになる。普通の人は、論理的不可能性に気づくことなく、「転換」してしまっているから、ということになろうか。

研究日誌(2022/2/26)間身体性は間主観性への通路になりうるか?

■間身体性は超越論的間主観性への通路になるか?

以前の記事(2021/5/1)の続きになるが。この記事で紹介した坂本秀夫氏の著書『他者としての身体』(ヴィツーソリューション、2009)を読んで、続きを書く。

「他者と私とは、いわば同じ一つの間身体性の器官なのだ(nous sommes comme les elements d'une seule intercorporeite)」(SS,213/(2)18)*1。その際、メルロ=ポンティがその思索の端緒とする一契機は手の二重感覚であった。手の二重感覚における感覚(sentir)と感覚内容(senti)の二重性が私の身体と他者の身体の間にも成立するという論理が、間身体性を基礎づけているのである。この論理は、しかし、すでに自己と他者が成立していることを前提しているのではないだろうか。」(p.33)

 *1 引用されているメルロー・ポンティの文は、『精選 シーニュ』(広瀬浩司・編訳、ちくま学芸文庫、2020)によると、「他人と私とは唯一の間身体性(intercorporéité)の二つの器官であるかのようだ。」(pp.256-257)となっている。

 同感である。私の身体と他者の身体の間には、そもそも二重感覚は成立しない。私が自分の右手で左手をさわる。右手が感覚し、左手が感覚される。逆転もある。ところが、私の右手が他者の左手にさわっても、感覚されるという感覚が生じるわけではない。欠落が、他者の感覚にはどうしても到達できないというもどかしさが、あるだけなのだ。自己の両手の二重感覚は、自他の二重感覚のモデルにはなりえない。

 坂本氏はここで、フッサール時間論に目を向ける。(第二章 身体と時間)
「従って、過去把持における二重の志向性である縦の志向性と横の志向性の区別が今や
より明瞭になる。前者は受動的志向性として働く「受動的総合」の過去把持であり、これが後者、すなわち、触発された自我の能動的志向性による意識内容の過去把持(想起)の基盤をなしているのである。この過去把持の二重の志向性によって時間が構成されているとすれば、自我が関与しない受動的志向性だけでは時間は未だ構成されず、従って、流れることはない。そこでは何が生じているのだろうか。」(p.48)という前半部の結論は明快であってよく分かった。が、この段落の次に新生児の体験世界の考察に移る際、今までの超越論的考察から、経験的仮説形成へと飛躍していると感じる。

 この印象は、次の、「第二節 共感覚自閉症ーー超越論的概念の経験的検証」に移って益々強められる。
 そもそも超越論的概念は経験的検証も反証もできるはずがない。そのような検証が可能ならば超越論的概念ではなく経験的仮説というべきだろう)。超越論的概念は、本質観取の過程にかけることができるだけである。ここで本質観取とは、拙著『明日からネットで始める現象学』(新曜社、2021)では、「現象学的還元によって得られた認識が、いつどこでも通用するという意味で普遍妥当性があるか否かの確認」と定式化されている。

 

<作業中>

 

アグリッパ・ゆうの読書日記(2022/02/18)ドストエフスキー『白痴』を半世紀以上たって再読した

■『白痴』(ドストエフスキー米川正夫訳、岩波文庫、改版1992)を半世紀以上たって再読しました。

初読はたぶん、10代末の頃か。
きっかけは、小林秀雄ドストエフスキー論に引用されている夢についての洞察が何頁にあったか、正確なところを、自分の仕事の必要上、知りたかったから。

 というか、拙著『夢の現象学・入門』(講談社選書メチエ、2016)の冒頭で引用しておきながらも、小林秀雄からの孫引きで済ませていたので、原典完でのでの頁数を知ることが必要になったから。
下巻の半ば近くまで読み進めて、やっと見つけました。
「夢からさめて、すっかり現実の世界に入ってしまったあとで、何かしら自分にとって解くことのできない謎を残して来たような気が、いつもほのかにするものである。」(p.250)
 小林秀雄による引用に比べれば(改版時に改めたものか)漢字が減っている他は、間違いない。思ったとおり小林秀雄米川正夫訳で読んでいたのでした。
 他に、初読の際、深く印象に刻み付けられていた神秘的な洞察を引用しておきます。
「ぼくのいたその村に滝が一つありました。あまり大きくはなかったが、白い泡を立てながら騒々しく、高い山の上から細い糸のようになって、ほとんど垂直に落ちてくるのです。ずいぶん高い滝でありながら、妙に低く見えました。そして、家から半露里もあるのに、五十歩くらいしかないような気がする。ぼくは毎晩その音をきくのが好きでしたが、そういうときによく激しい不安に誘われたものです」(上、p.114)。ムイシュキン公爵が初めてエパンチン家を訪れて、ヒロインのひとりアグラーヤほかの三姉妹に、スイスの高原での療養生活について語った、その最初の方に出てくる描写です。最初に読んだ時は、遠近法が狂うというか、いいしれぬ眩暈に襲われたような気がしたものです。存在論的眩暈とでもいうべきか。
 次のくだりは、本作を通じてもっとも印象的で神秘的な描写です。やはりスイスでの療養生活のことが描かれています。
「あるとき太陽の輝かしい日に山へ登って、言葉に言い表わせない悩ましい思いをいだきつつ、長いあいだあちこち歩きまわったことがある。目の前には光り輝く青空がつづいて、下の方には湖水、四周には果てしも知らぬ明るい無窮の地平線がつらなっていた。彼は長いことこの景色に見入りながら、もだえ苦しんだ。この明るい、無限の青空にむかって両手をさしのべて、泣いたことが、今思いだされたのである。彼を悩ましたのは、これらすべてのものに対して、自分がなんの縁もゆかりもない他人だという考えであった。ずっと以前からー-こどもの自分から、つねに自分をいざない寄せているくせに、どうしてもそばへ近づくことを許さないこの歓宴、この絶え間なき無窮の大祭は、そもいかなるものだろう?‥‥いっさいのものにおのれの道があり、いっさいのものがおのれの道を心得ている。そして唄とともに去り、唄とともに来る。しかるに、自分ひとりなんにも知らなければ、なんにも理解できない。人間もわからない、音響もわからない。すべてに縁のないけものである。‥‥」(下、p.191-192)
 なんとも神秘的な、存在論的疎外感の描写というべきでしょう。

アグリッパ・ゆうの読書日記(2022/2/5)『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』(池上彰・佐藤優、講談社、2021)

■『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』(池上彰佐藤優講談社、2021)を読む。

評者のように同時代を生きた人間にとっては、周知のことばかりで特に目新しさはない。結論は第3章の最後に佐藤優の言葉として述べられているので、長文だが引用しておく。
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佐藤 ‥‥だから左翼というのは始まりの地点では非常に知的でありながらも、ある地点まで行ってしまうと思考が止まる仕組みがどこかに内包されていると思います。(‥‥)共産主義なる理論がどういう理論であって、それはどういう回路で自己絶対化を遂げるのか、そして自己絶対化を克服する原理は共産主義自身の中にはないのだということは、今のリベラルも絶対に知っておかなければいけないことなんです。/そして私の考えでは、その核心部分は左翼が理性で世の中を組み立てられると思っているところにあります。理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけで割り切ることもできない。人間には理屈では割り切れないドロドロした部分が絶対にあるのに、それらをすべて捨象しても社会は構築しうると考えてしまうこと、そしてその不完全さを自覚できないことが左翼の弱さの根本部分だと思うのです。
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 これにも一理があるだろう。たとえばここ半世紀の自由民主党の一貫した強さは、田中角栄に象徴されるような義理人情を、政治の世界に多分に残していたことにあるのかもしれない(そして、今世紀に入って以来、偽リベラル・ソフトスターリニストを含む勢力によって、義理人情が目の敵のようにされて、今日の日本が不寛容・非寛容な社会となりつつあるのも、当然のことだ)。

 ただし、左翼=共産主義の自己絶対化の仕組みとしては、この佐藤優の説では弱いと言わねばならない。むしろフランソワ・フェレ『幻想の過去ー20世紀の全体主義』(バジリコ、2007)の方に急所を突く洞察が見られるので、以下に引用するー

「それでもコミュニズム信仰は、人々の精神的エネルギーの全面的傾注の対象になることにおいて、他に突出した成果を挙げてきた。それは何よりもコミュニズム信仰が、科学と道徳を一つに結びつけているがごとき外観を呈していたからである。科学的理由と道徳的理由という、元来次元が異なるはずの基本的行動理由が、コミュニズムにあっては奇跡的に結びつけられていたのだった。コミュニズムの闘士は、歴史法則の完成に携わっていると信じながら、資本主義社会のエゴイズムと戦い、人類全体のために戦ったのである」(p.197)。

 この、科学と道徳との結合こそ、コミュニズムの自己絶対化の秘密と言わねばならない。つまり、社会的正義としての革命を、共産主義マルクス主義)は科学的必然と主張する。科学的必然ではないだろうという科学上の反論を、今度は、革命への反対論は社会的悪である、という論法で批判する。マルクス主義におけるこのような科学的真理と社会的正義の閉じた循環こそ、科学哲学者のカール・ポパーが早くから予見していたように、マルクス主義を採用するあらゆる社会主義国家が全体主義へと帰着するゆえんなのだ。
 本書が終わる1972年以後、国内での中核×革マル内ゲバ激化と雁行するかのように、ポルポト派(カンボジア共産党毛沢東派)によるジェノサイドの発覚、世界中の左翼を震撼させ混乱に陥れた中越戦争の勃発、天安門事件、そしてベルリンの壁の崩壊、ソ連圏崩壊と、世界的な左翼の衰退が進行する。これを本書ではどう描くか。それによってこの二人の著者の知的水準が分かるというものだ。

アニメ『家なき子』(1977年製作)を見る

■小学生の頃は科学少年で、「ファーブルの昆虫記」とか「アンナプルナ登頂」とか、野尻抱影の「天体の神秘」シリーズとか、高学年になってはコナンドイルに夢中だったので、児童文学の名作をほとんど読み損ねてしまっていた。

 数年前、『小公子』『小公女』の、明治の名訳を図書館で見つけて読んで、感銘を受けた。まだまた、読み損ねた名作は、「フランダースの犬」「母を訪ねて三千里」「にんじん」と数多い。

 といっても、原作完訳版は「あしながおじさん」で懲りているので、なるべく原作に忠実なアニメはないかと探していたところ、見つけたのが、フランス人作家エクトール・マロ作の『家なき子』。制作は1978年とある。

 この年は最初の就職先、高知大学に赴任した年だ。なんで覚えがないのかというと、当時見ていたテレビアニメは、『キャプテン・フューチャー』と『宇宙戦艦ブルーノア』。つまり、科学少年の成れの果てらしく、三十過ぎてもアニメといえばSFだったらしい。

 家なき子に戻ると、全54話。αアニメに登録しているのでタダで見れる。面白い。それに原作に忠実らしく、何でも舞台になっている南フランスの農村にまで取材をしているらしく、教会を中心とした街並みの佇まいなど、19世紀を如実に再現していると思われた。

 レミは捨て子だったが村の農家で優しい母に育てられる。そこにパリに出稼ぎにいっていた養父が事故で足を痛め、おまけに裁判で負けて文無しになって帰ってきて、レミを、猿と三匹の犬を連れた旅芸人に売り払ってしまう。8歳のレミの旅立ちだった。

 旅芸人ビタリスはイタリアから来た謎めいた老人で、音楽と芸とそして生きるための心得を教えてくれ、レミはお師匠さんと呼んで慕う。でも、トゥールーズの町で、ビタリスは警官といさかいを起こして投獄され、犬と猿を連れて一人で生きるために小さな座長となる‥‥

 これでもかこれでもかと不運がレミを襲い、かわいそうで見ていられなくなる。でも、第9話「思いがけない出来事」の最初の方で、竪琴をつま弾きながらピレネーの山脈に向かって歌う姿は、可愛いさを越えて美しい。とても感動しました。

■追記(2022年2月20日

毎晩1話か2話ずつ見て、一週間前に全51話を見終わって、いまだに余韻に浸っています。特に後半からのオープニングアニメには、竪琴を爪弾きながら歌うレミの姿があしらわれていて、印象的です。
 竪琴弾きの旅する少年といえば、ゲーテの『詩と真実』にも出てきて、旅の途中で出会った若きゲーテは、フランクフルトに戻ると自宅の隣の家を借りて住まわせるなど、何かと面倒をみてやっていたようです。研究論文によると、この少年があのミニヨンのモデルらしいとのこと(性別が変わっていますが、ミニヨンという男性名詞に、元の名残が留められているとか)。ゲーテは1749年生まれだから、1770年か1780年代頃、つまりフランス大革命以前で、まして遅れていたドイツは中世と言ってもよい社会で、竪琴弾きの旅する少年がいても不思議ではないのですが。

 それが、ドイツに比べると一足先に近代化していたはずのフランスの、それも19世紀半ばでも、旅芸人一座という位置づけですが、家なき子の主人公が、竪琴弾きの旅する少年だったなんて。遅まきながらの嬉しい発見です。

 とにかく、原作に忠実だというこのアニメを見ただけでも、家なき子(Sans famille)という作品が、フランス・イギリス・スイスを股に掛けたスケールの大きさから言っても、波乱万丈の筋立てからいっても、そしてまたレミがお師匠さんと慕うヴィリタス老人の一座の人物造形(犬や猿もいるから動物造形というべきか)のユニークさからいっても、児童文学史の金字塔といっても過言ではありません。
 調べてゆくと、2020年にはフランスの実写映画として家なき子が日本でも公開されていたのですね。その監督も、この、出崎統監督の日本製アニメを子どもの頃にみたことが、今回の制作のきっかけになったらしい。当時(1978)は、フランスイタリアなどでも放映されて評判になっていたらしいのですね。

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映画『世界で一番美しい少年』を見る

■一昨日(12月27日)は、月曜のこととて図書館も休みだったので、また新宿まで足を伸ばし、スエーデンのドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』を見た。

 新宿東南口を出てすぐ左に曲がったところの縦に細長いビルの地下にある、「新宿シネマカリテ」という小劇場だ。

 正午過ぎの時刻ということで、十数名の観客はほとんどがシニアだ。思った通り女性が多い。3,4人のグループで来ている他は、一人客の女性だ。シニアカップルが一組。その他に、シニア男性は珍しく私以外にも一人いた。こういう題名の映画を見に来るのは、男性としてはけっこう勇気がいるだろう。私は慣れているが。

 1970年に日本でも公開されて見に行った、『ベニスに死す』という映画があった。原作はトーマス・マン。映画の方はルキノ・ヴィスコンティ監督だ。

 私は原作の方を先に読んでから映画を見に行った。老芸術家アッシェンバッハの魂を奪った美少年タジオを演じたのが、15歳のビョルン・アンドルセンだった。

 今度の映画はその、世界で一番美しい少年ビョルンの栄光と零落のドキュメンタリーである。

 見終わった衝撃は、『リトル・ガール』にも勝るとも劣らない。人生の真実を見た、という気がした。

 ビョルン少年は1971年に来日もしている。この映画ではカンヌ、パリ、そして日本と、栄光の時代の足跡を、老いさらばえたビョルンが辿る、という構成になっている。

 日本に来た時にはかなりの話題になり、「永遠の二人」という日本語の歌もレコードで出しているという。それにしては来日の記憶がないのが残念だが。でも、この映画のエンディング曲として、その永遠の二人の歌が流れたのは、粋な計らいというべきか。西洋人の歌う日本語の歌にありがちな訛りがなく、ジャニーズの歌といっても通用するような、いかにもティーンの少年の声で歌われていた。もちろん16歳で背も高いから声変わりしているが、男声というより魅力的な少年の声だった。

 また、池田理代子さんも登場して、ベルばらのオスカルの作画のモデルが当時のビョルン少年だったことも明かしていた。そういえば鋭角的でしかもはかなげなオスカルの顔立ちは、ビョルン少年に似ていないこともない。

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