研究日誌(2022/5/24)心身スーパーヴィーニエンス説のダメっぷり

■『物理世界のなかの心』(ジェグオン・キム (Jaegwon Kim)、太田雅子訳、勁草書房、2007)を読む。

世評高い本だが、物(脳神経系)への心のスーパーヴィーニエンスを擁護する本だと思ったら、いかにスーパーヴィーニエンスが駄目かを論証する本だった。のっけから(第一章から)、こうある。

「だから、スーパーヴィーニエンスは形而上学的に「深い」関係ではないのだ。それはただ性質共変化のパターンについての「現象学的」関係に過ぎず、ことによるとそのパターンはもっと深い依存関係の現れであるかもしれない。もしこれが正しいなら、心身スーパーヴィーニエンスは心身問題を提起するものであり、心身問題を解決するものではないのである。」(p.20)

 そして、最後の章の最後の6節では、こうある。

「したがって、物理主義から伸びるすべての道は最終的には同じ一点、心的なものの反実在論に収束する。」(p.167)

「とにかく、心身問題をめぐる議論を続けるうちにだんだん明らかになってくるのは、性質二元論や非法則的一元論、非還元的物理主義のような、今のところ人気のある穏健な立場は、強固な物理主義に簡単に耐えうるものではないということである。真摯な物理主義者であると同時に非物理的な事物や現象にお付き合いできると思うのは無意味な夢であるとわたしは思う。」(p.168)

「けれども、全面的な二元論のほうが心的なものを救うためのもっと実在論的な機会を提供すると結論するのは時期尚早だろう。われわれの多くにとって二元論は未知の領域であり、どのような可能性や危険がこの暗い洞窟に潜んでいるかはほとんどわからないのだから。」(ibid.)

 これが、この本全体の末尾である。これが、「悪い知らせ」ということになっているが、私は物理主義者だったことが一度もないので、悪い知らせとは思わない。むしろ、物理主義からの自己解放には道理があるということを、当の物理主義者によって保証してもらったようなものだ。

アグリッパ・ゆうの読書日記(2022/5/2):『真説 日本左翼史:その源流1945-1960』池上彰・佐藤優(講談社、2021)

続編の『激動 日本左翼史 1960-1972』を先に読んだが、厳密に同時代人である評者にとっては知っていることばかりで余り面白くなかった。それに対してこちらは、評者が小中学生の頃で、うっすらと記憶にある程度しか知らないので、結構ためになった。
 そもそも佐藤優がこの本を構想したのは、「現在の世界で顕になっている社会の機能不全に対して、人々が左翼的な思想に再び注目し、左翼勢力が台頭する可能性は非常に高いと思っている」(p.17)ので、その日にそなえ、左翼とは何だったのかについて、歴史的に明確にしておかなければならないからだという。
 実は最初と最後の章しかちゃんと読んでいないが、とりあえず記憶にとどめておきたい個所を引用し、必要に応じてコメントておく。
「佐藤 あるいは「左翼」と「リベラル」が全然別の概念だということも理解されていません。本来はリベラル(自由主義者)といえば、むしろ左翼とは対立的な概念です。たとえば、左翼は鉄の規律によって上から下まで厳しく統制され、またそれを受け入れるものであったのに対して、リベラルは個人の自由を尊重する思想ですから、そうした規律を嫌悪します。でも今では、左派とリベラルがほとんど同じもののように考えられています。」
「池上 ただ、そこには「左翼」と呼ばれることを嫌った「オールド左翼」たちが、自らを「リベラル」と称するようになったことも背景にあるかもしれませんが。」(p.20)
⇒どうせそんなことだろうと思っていたが、よくぞ書いてくれたものだ。ここで、一歩進んで、リベラルの仮面をかぶったオールド左翼のことを、吉本隆明流の言い方を借りて、「偽リベラル・ソフトスターリニスト」と呼ぶことを提案したい。オールドだろうが新だろうが、左翼の行きつく先は習近平の道、つまりスターリン主義しかないのだから。
「佐藤 この左翼、つまり急進的に世の中を変えようとする人たちの特徴は、ます何よりも理性を重視する姿勢にあります。/理性を重視すればこそ、人間は過不足なく情報が与えられてさえいればある一つの「正しい認識」に辿り着けると考えますし‥‥」
「池上 十九~二0世紀の左翼たちが革命を目指したのも、人間が理性に立脚して社会を人工的に改造すれば、理想的な社会に限りなく近づけると信じていたからですね。」
「佐藤 そうです。ですから現在一般に流布している「平和」を重視する人々という左翼観は本来的には左翼とは関係ありません。」(p.21)
⇒理性信仰は確かに、マルクス主義以前のユートピア社会主義(日本では意図的に空想的社会主義と誤訳されている)、たとえばサンシモン主義にも共通している。マルクス主義共産主義)の特徴は、理性信仰を科学信仰まで突き詰めたところにある。だからマルクス主義では政治的正義が科学的真理と一体化してしまう。これが、他の社会主義、たとえば西欧流の社会民主主義と異なり、マルクス主義的国家が全体主義へと帰結するゆえんなのだ。
日本共産党の本質はスターリン主義だ。資本主義の構造悪を断ち切ろうとするためにスターリン主義という別の構造悪を導入することは避けなくてはならない。」(佐藤優 「おわりに」p.229)
日本共産党だけでなく、あらゆるマルクス主義結社がスターリン主義に行きつくことこそ、戦後世界の学んだ教訓ではなかったか?

研究日誌(2022/4/15)フッサールの訳語について

フッサールの訳語「共現前」について

間主観性現象学Ⅱーその展開』にはこうある。

訳注〔45〕Appräsentation  本書第一部訳注〔27〕にあるように、「共現前Appräsentation」もKompräsentationと同様、「現前Präsentation」の対概念である。従来、Appräsentationに対して「間接現前」や「付帯現前化」(『現象学事典』)といった訳語が使われてきたが、「間接(的)」や「付帯(的)」とするのは必ずしも適切ではないと思われる。「現前」がそのうちに分裂を含み、「原現前」と「共現前」の協働-絡み合いによって成立しているという意味をこめて、できるだけシンプルに「共現前」と訳した。以上、『その方法』第二部の訳注〔2〕、三六〇頁以下をも参照。(『間主観性現象学Ⅱーその展開』浜渦・山口/監訳、ちくま学芸文庫、2013、p.179)

とあるので、『間主観性現象学Ⅰーその方法』の訳注該当部分を参照すると:

訳注〔2〕Präsentation und Kompräsentation 前述(本書第一部訳注〔50〕断章)の対語と同じ意味の対語である。この前後の編者注からも分かるように(‥‥)、フッサールはこのテキストで、現前もしくは「原現前Urpräsentz」と「共現前」との対比を表す語に迷いが見られ(原注3を参照)、「Kompräsenz/Kompräsentation」という語から次第に「Appräsenz/Appräsentation」へと移っていったことが分かる(両者を日本語で訳しわけるのは困難)。従来、Appräsentationに対して「間接現前」や「付帯現前化」(『現象学事典』)といった訳語が使われてきたが、「間接(的)」や「付帯(的)」とするのは必ずしも適切ではないと思われる。「現前」がそのうちに分裂を含み、「原現前」と「共現前」の協働-絡み合いによって成立しているという意味をこめて、また、このテキストに見られるように、初めはKompräsentationという語を使っていったのを次第にAppräsentationという語に変えて行ったという経緯もあり、できるだけシンプルに「共現前」と訳した。(『間主観性現象学Ⅰーその方法』浜渦・山口/監訳、ちくま学芸文庫、2012、pp360-361)

 けれども、ともに「共現前」と訳してしまっては、フッサールがなぜ、Kompräsentationという語をAppräsentationという語に変えて行ったかの理由を不問にしたままになってしまおう。むしろ、共に現前してしまうのではなく、現前へと向かうという意味で、「向現前」とすべきではないか。

 

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研究日誌(2022/4/11)『こころの病いときょうだいのこころ: 精神障害者の兄弟姉妹への手紙』より。

■『こころの病いときょうだいのこころ : 精神障害者の兄弟姉妹への手紙』(滝沢武久著、京都:松頼社、2017)より。手紙に答える形での質疑応答から抜粋しておく。

Q「医師や支援者からは症状が安定してよくなっていると聞きましたが、発病前とはほど遠く、もどかしい思いがします。本人に多くを求めすぎなのでしょうか?」

A: 私もソーシャルワーカーになってから、家族やきょうだいの方からよくこのような意見を聞きました。たしかに、家族・きょうだいからすれば、発病する前の元気な本人に戻ることが「病気が治る」ことだと考えるのは、私にもよくわかります。一方で、医師や支援者は、本人が医療・福祉にかかってからの関係ですから、本人の状態の悪いときとくらべて「よくなっている」と見るのでしょう。けれども、この見方の違いだけのために、医師や支援者との関係が悪くなってしまっては本人のためにもなりません。はたして「回復する」ということを、どのように考えたらよいのでしょうか。

 精神科医はこころの病が「完治」するとは考えません。病いの原因がわからないことと、ふたたび状態が変化することもあるからです。だから精神医療では、投薬やカウンセリングを受けながらでも、精神状態が安定していることで良しとする「寛解」という表現を使います。発病する前の状態に戻って欲しいと願う家族・きょうだいには、医師や専門家の見方はなかなか受け入れにくいことかもしれません。しかし、それよりも本人にとって大切なのは、現在の生活ぶりとこれからの生き方です。‥‥」(p.156)

研究日誌(2022/3/19)フッサール他者論、リシールの空想身体論、ファンタシアを経由して間身体性へ?

■「「間身体性」の近さと隔たりー間身体性の倫理学の構想(2)ー」(坂本秀夫著、跡見学園女子大学文学部紀要、第54号:125-144、2019)を読むの巻(2)

 二度目に読んで、何となく分かってきた。その間、参照文献に挙がっていた、Richir, M. (2006). "Leiblichkeit et phantasia", in Psychotherapie phenomenologique (pp. 35-45)と、坂本秀夫『他者としての身体』(ブイツーソリューション、2009)を読んだためもあるが。

 以下に、必要部分を抜粋して置く。

フッサールは「知覚的空想(perzeptive Phantasie)」という概念を導入する(ⅩⅩⅢ, Text Nr.18)。これは矛盾した概念ではない。この概念における「知覚」とは像物体のWahrnehmungではなく、像客体のPerzeptionであり、後者は実在を措定しない、いわば中和化された知覚だからである。リシールによれば‥‥」(p.134)

「他者身体の構成は、像意識とは別の準現在化作用である「知覚的空想」の働きにその可能性が求められねばならない」(ibid)。

「原所与性としてのファントムを基盤として空想が作動し、空想作用によって想像力が起動する。ところが、ひとたび起動した想像力は空想作用が意味生成の次元で垣間見た形象化しえぬものをおのれの直観対象として形象化するために、空想を「知覚的外見(apparence perceptive)」に変様せざるをえない。すなわち、想像力は自ら疑似措定した対象の「像(image)」を横断して志向的に思念するのだが、この「像」はもともとも純粋空想の「原-像」ではなく、志向的に思念された対象の像なのである。これが空想から想像への「建築術的位相転換(la transposition architectonique)」(ibid., 40)の機制である。この位相転換を逆に辿れば、知覚的空想が可能となる。知覚的空想の本質は現実の知覚(Wahrnehmung)を空想に(想像ではない)変様することにあるからだ。」(p.136)

→この段落、再読してみて何となく分かってきた。

フッサールは知覚的空想の事例として、『リチャード三世』を挙げている(ⅩⅩⅢ,515)。」(ibid.)

「舞台上とはいえ、登場人物の内面性は直観において形象化不可能であることは、現実における他者との出会いと変わらない。‥‥私が他者の生き生きした眼差しの「核心部」に「知覚する」もの、それは他者の形象化不可能な知覚的空想だからである。‥‥知覚的空想において「実在的なるものと虚構的なるものの彼方(あるいは手前)に」おいて知覚(Perzeption)されている何ものか、それは「根源的に形象化不可能なもの」、他者の「生き生きした身体性」に他ならない。」(p.137)

 また、「おわりに」から、結論部分を抜粋する。

「知覚(Wahrnehmung)は他者の身体を像物体(Korper)として、像意識はそれを像客体・像主題として統握する 。像意識において機能しているのは志向的想像力であり、その働きは対象を「像」化することにある。それゆえ像意識において現出する他者の物体身体(Korperleib)には、生き生きした身体性 (Leiblichkeit)が現れることはない。身体 (Leib)と物体(Korper)の差異は、この身体に宿る生にこそ求められるのだが、この生は形象化不可能だからである。形象化不可能なものの次元、それは意味発生の原初的領域であり、そこではじめて現象が現象化する意識の最古層の次元に属する。知覚的空想によってこの次元への接近の可能性が開かれる。ただし、空想はつねに「像」に位相転換される危険に晒されているのだが。(p.138)

→これで見ると、私のように他者の実在を理解できないということになるのは、知覚的空想をむりに像に転換しようとして、論理的に不可能であることに気づくから、ということになる。普通の人は、論理的不可能性に気づくことなく、「転換」してしまっているから、ということになろうか。

研究日誌(2022/2/26)間身体性は間主観性への通路になりうるか?

■間身体性は超越論的間主観性への通路になるか?

以前の記事(2021/5/1)の続きになるが。この記事で紹介した坂本秀夫氏の著書『他者としての身体』(ヴィツーソリューション、2009)を読んで、続きを書く。

「他者と私とは、いわば同じ一つの間身体性の器官なのだ(nous sommes comme les elements d'une seule intercorporeite)」(SS,213/(2)18)*1。その際、メルロ=ポンティがその思索の端緒とする一契機は手の二重感覚であった。手の二重感覚における感覚(sentir)と感覚内容(senti)の二重性が私の身体と他者の身体の間にも成立するという論理が、間身体性を基礎づけているのである。この論理は、しかし、すでに自己と他者が成立していることを前提しているのではないだろうか。」(p.33)

 *1 引用されているメルロー・ポンティの文は、『精選 シーニュ』(広瀬浩司・編訳、ちくま学芸文庫、2020)によると、「他人と私とは唯一の間身体性(intercorporéité)の二つの器官であるかのようだ。」(pp.256-257)となっている。

 同感である。私の身体と他者の身体の間には、そもそも二重感覚は成立しない。私が自分の右手で左手をさわる。右手が感覚し、左手が感覚される。逆転もある。ところが、私の右手が他者の左手にさわっても、感覚されるという感覚が生じるわけではない。欠落が、他者の感覚にはどうしても到達できないというもどかしさが、あるだけなのだ。自己の両手の二重感覚は、自他の二重感覚のモデルにはなりえない。

 坂本氏はここで、フッサール時間論に目を向ける。(第二章 身体と時間)
「従って、過去把持における二重の志向性である縦の志向性と横の志向性の区別が今や
より明瞭になる。前者は受動的志向性として働く「受動的総合」の過去把持であり、これが後者、すなわち、触発された自我の能動的志向性による意識内容の過去把持(想起)の基盤をなしているのである。この過去把持の二重の志向性によって時間が構成されているとすれば、自我が関与しない受動的志向性だけでは時間は未だ構成されず、従って、流れることはない。そこでは何が生じているのだろうか。」(p.48)という前半部の結論は明快であってよく分かった。が、この段落の次に新生児の体験世界の考察に移る際、今までの超越論的考察から、経験的仮説形成へと飛躍していると感じる。

 この印象は、次の、「第二節 共感覚自閉症ーー超越論的概念の経験的検証」に移って益々強められる。
 そもそも超越論的概念は経験的検証も反証もできるはずがない。そのような検証が可能ならば超越論的概念ではなく経験的仮説というべきだろう)。超越論的概念は、本質観取の過程にかけることができるだけである。ここで本質観取とは、拙著『明日からネットで始める現象学』(新曜社、2021)では、「現象学的還元によって得られた認識が、いつどこでも通用するという意味で普遍妥当性があるか否かの確認」と定式化されている。

 

<作業中>

 

アグリッパ・ゆうの読書日記(2022/02/18)ドストエフスキー『白痴』を半世紀以上たって再読した

■『白痴』(ドストエフスキー米川正夫訳、岩波文庫、改版1992)を半世紀以上たって再読しました。

初読はたぶん、10代末の頃か。
きっかけは、小林秀雄ドストエフスキー論に引用されている夢についての洞察が何頁にあったか、正確なところを、自分の仕事の必要上、知りたかったから。

 というか、拙著『夢の現象学・入門』(講談社選書メチエ、2016)の冒頭で引用しておきながらも、小林秀雄からの孫引きで済ませていたので、原典完でのでの頁数を知ることが必要になったから。
下巻の半ば近くまで読み進めて、やっと見つけました。
「夢からさめて、すっかり現実の世界に入ってしまったあとで、何かしら自分にとって解くことのできない謎を残して来たような気が、いつもほのかにするものである。」(p.250)
 小林秀雄による引用に比べれば(改版時に改めたものか)漢字が減っている他は、間違いない。思ったとおり小林秀雄米川正夫訳で読んでいたのでした。
 他に、初読の際、深く印象に刻み付けられていた神秘的な洞察を引用しておきます。
「ぼくのいたその村に滝が一つありました。あまり大きくはなかったが、白い泡を立てながら騒々しく、高い山の上から細い糸のようになって、ほとんど垂直に落ちてくるのです。ずいぶん高い滝でありながら、妙に低く見えました。そして、家から半露里もあるのに、五十歩くらいしかないような気がする。ぼくは毎晩その音をきくのが好きでしたが、そういうときによく激しい不安に誘われたものです」(上、p.114)。ムイシュキン公爵が初めてエパンチン家を訪れて、ヒロインのひとりアグラーヤほかの三姉妹に、スイスの高原での療養生活について語った、その最初の方に出てくる描写です。最初に読んだ時は、遠近法が狂うというか、いいしれぬ眩暈に襲われたような気がしたものです。存在論的眩暈とでもいうべきか。
 次のくだりは、本作を通じてもっとも印象的で神秘的な描写です。やはりスイスでの療養生活のことが描かれています。
「あるとき太陽の輝かしい日に山へ登って、言葉に言い表わせない悩ましい思いをいだきつつ、長いあいだあちこち歩きまわったことがある。目の前には光り輝く青空がつづいて、下の方には湖水、四周には果てしも知らぬ明るい無窮の地平線がつらなっていた。彼は長いことこの景色に見入りながら、もだえ苦しんだ。この明るい、無限の青空にむかって両手をさしのべて、泣いたことが、今思いだされたのである。彼を悩ましたのは、これらすべてのものに対して、自分がなんの縁もゆかりもない他人だという考えであった。ずっと以前からー-こどもの自分から、つねに自分をいざない寄せているくせに、どうしてもそばへ近づくことを許さないこの歓宴、この絶え間なき無窮の大祭は、そもいかなるものだろう?‥‥いっさいのものにおのれの道があり、いっさいのものがおのれの道を心得ている。そして唄とともに去り、唄とともに来る。しかるに、自分ひとりなんにも知らなければ、なんにも理解できない。人間もわからない、音響もわからない。すべてに縁のないけものである。‥‥」(下、p.191-192)
 なんとも神秘的な、存在論的疎外感の描写というべきでしょう。