アグリッパ・ゆうの読書日記1『異端カタリ派の歴史』

2020年5月11日。

最初に取り上げる本は『異端カタリ派の歴史』(ミシェル・ロクベール、武藤剛史/訳、講談社選書メチエ、2016)。756頁ある辞書のような分厚い本を、三週間かけて読了しました。

 日本語で読める中ではカタリ派研究の決定版なのですが、読んでいるうちに鬱になってきます。カタリ派とは、11世紀から13世紀にかけてフランス南部アルビジョア地方の貴族、騎士、有力市民の社会に広まったキリスト教異端派です。教義の特徴は善悪二元論にあり、世界は悪魔デミウルゴスが創造したものとされます。真なる神の愛娘ソフィア(智慧)が人間を憐れんで蛇に変身して楽園の林檎の樹でイヴに智慧を授けるのです。キリスト教圏内の宗教に珍しく、輪廻転生も説いています。

 ところが、13世紀の始めから、十字軍遠征の度重なる失態を糊塗するためでしょうか。時の教皇インノケンティウス三世は、異端派撲滅のためいわゆるアルビジョア十字軍を差し向けます。南フランスの騎士たちはよく戦い、一度は十字軍を押し返しますが、たびかさなる破門戦略と謀略によって政治的軍事的に屈服し、信徒たちは火刑台の灰と消え、その後も二世紀わたって異端審問によって徹底的に弾圧されます。3世紀にわたる弾圧による犠牲者は200万人に達したと言います。吟遊詩人(トルバドゥール)の歌う宮廷恋愛詩に象徴される独自の文化と政治的独立性を誇った南フランス(オクシタニア)は、こうしてパリのフランス王国に併合されてしまうのです。
 私が鬱になると書いたのは、読み進めるにつれて、何だかカタリ派とは、迫害されるためにこの世に生まれたような気がしてきたから。じっさい、「序」の冒頭は、このような文章で始まっているのですーー
 「カタリ派の歴史と書くとは、ほとんど迫害の歴史を書くことに等しい。じっさい、カタリ派の人々が自分たちの信仰をまったき自由のうちに生きることができたのは、きわめて短い期間でしかなかった。彼らは自分たちの運命をみずから証言する時間をほとんど与えられなかったのである。(‥‥)十字軍、異端審問。カタリ派の歴史はこのふたつの局面に集約され、しかも両者は不可分の関係にある。要するに、カタリ派の人々は、みずからの不幸によって、最後にはみずからの灰によって、自分たちの歴史を語るほかなかったのだ。」

 私がカタリ派のことを知ったのは、学生の頃、ガーダムというイギリスの精神科医の書いた『霊の生まれ変わり』という本によってでした。この著者は火あぶりになる夢を見たことがきっかけで、前世は南フランスのカタリ派教徒だったことが分かります。しかも同じ火刑で死んだカタリ派教徒が何人も、現代に転生していることにも気がつくという、一見トンデモない本です。内容の是非はともかくとして、同じころ、20世紀前半に活躍したゴシック作家のブラックウッドの、黒猫の呪いみたいな題の怪奇小説を読んだことも覚えています。黒猫に導かれてカタリ派教徒が大量に火刑に処せられた南フランスの町に行く歴史学者の話ですが、コリン・ウィルソンによって筋が幼稚だと酷評されています。
 そして、大学院を出て最初の就職先として高知大学に赴任したところ、同じ学部の大先輩に、日本における当時のカタリ派研究の権威、渡邊昌美先生がいられたのです。といっても、私のような専門のまるっきり違う若僧など、ハナから相手にして貰えなかったのは残念ですが。いずれにしても、カタリ派とは何かと縁があったんだなと、最近、カタリ派の時代を背景とした歴史伝奇ファンタジーをウェブ上に書くようになって、つくづく思います。
 それは、涼宮ハルヒシリーズの二次創作として書き続けている「長門有希詩篇」の、「外伝 ソフィア姫と十字軍の伝説」というのです。リンクを貼っておきましたから、覗いてみてください。
 キャッチフレーズは「永遠の乙女と讃えられる神秘的な姫に、異端審問官率いる十字軍の軍勢が迫る」というのです。ソフィア姫は、南フランスの騎士を率いて十字軍と戦ったトゥールーズ伯レーモン七世の娘という設定ですが、容姿が、人形のような白い整った顔、黒い瞳、青みがかった短い髪ーーと、長門有希と似ているのです。
 長門有希の悲恋を描いた『涼宮ハルヒの消失』のエンディングソング「優しい忘却」で、長門(CV茅原実里)の声で「忘れないで、忘れないで」とくりかえす小節があります。カタリ派を題材とした作品をウェブ上に書くのも、灰になって歴史に埋もれたカタリ派の人々を忘れないため、ということに最近、あらためて気づいた次第です。