アグリッパ・ゆうきの読書日記3『精神病棟の二十年』松本 昭夫 (著) 2001 (新潮文庫)

『精神病棟の二十年―付・分裂病の治癒史』 (新潮文庫) 2001

松本 昭夫 (著)

 うーん、タイトルから20年間、精神病棟に閉じ込められっぱなしと想像していたのに、出たり入ったり。そして、まだ入院中から再就職の活動をして、しかも、営業マンなどという、どう考えても統失に向かない職種なのに、現に何度も再就職に成功している。女性関係も華やかだし。ホントに統失ですか?と聞きたくなるくらい、症状が軽い。元松沢病院院長の金子嗣朗氏が付録で書いているように、漱石と同じく、統失と躁うつ病が重なり合った非定型精神病かもしれない。
 症状が軽すぎ、色々恵まれ過ぎ、参考にはならない。こんなことをいうのも、どうしても私の兄と比較してしまうから。兄が発病したのは1964年、21歳で、東大生でした。その時は半年で退院しましたが、27歳で、商社員だった時に再発し、それ以後、詳しい事情は憚りますが、廃人になりました。私は関西の大学に行っていて滅多に帰省しなかったのですが、後で母に再発の経緯を聞いて、よくもまあ、これほど、節目節目で最悪の選択を続けたものだと、あきれ返ったものです。
 その理由は、両親も東大生の筈の兄本人も文学的教養と無縁だったことにあると、詩人の手になる手記であって優れた自作の詩もいくつか収録されている本書を読みながら、今更ながら思い返されます。
 兄の話に戻りますが、そもそも1964年という時代に、母は、主治医から、「今は医学が進歩しているから治るんですよ」とか、「5年たって再発しなければ治ります」などと、奇妙なことを吹き込まれて、すっかり真に受けていたらしい。そもそも、医者の言う統失が「治る」とは、「退院できる」という意味なのに、家族の方では「完全に元に戻る」という意味にとってしまって、就職にも結婚にも「人並み」を本人に強要して、結果的に再発させてしまう。そんな悲劇を、後に家族会に出たりして、散々見聞きしたものでした。兄の場合も、卒業どころじゃなかったのに、親のプレッシャーで無理やり卒業させ、挙句は就職先は大手商社などという統失者には最悪の所。もし、少しでも教養があれば、統失になった時点で、世俗的な出世コースなど問題外だと分かったでしょうに。
 その点、本書の著者は、仏文科を出て詩人志望だっただけあって、世俗には半身に構えていられた。そこに余裕が生まれて、良い方に作用したのだと思いますよ。仏文科といえば、私がかつて勤めていた地方大学で同僚だった仏文学者は、ゼミでカミユの異邦人を原書で読ませる効用について、こう語っていたのを思い出します。「最初、学生たちは、世の中のために役立つ人間にならねば、という固定観念でガチガチになっているんだよ。けれども、異邦人を読んでいるうちに、あるところで、回心とでもいうものが起こる。世の中に役立つような人間にならなくていいんだ、と悟るんだよ。」
 著者にあって私の兄になかったのは、このような意味での文学的素養だったのでしょう。ちなみに兄は、大学の卒論では毛沢東をやり、就職しても職場の「党細胞」に属するという、社会的正義感でガチガチの人でした。
 また、この著者が、自らの病気の解釈としてフロイディズムに惹かれるのも、当然なことです。むしろこの自己解釈もまた、著者の病気の回復に役に立つ「物語」だったのでしょう。物語なき無意味な脳神話などに、人間は耐えられないのだから。著者は、病院にはカウンセリングなど全くない、といぶかっていましたが、これこそまさに、日本の精神医療が、フロイトなど一度も受け入れたことなく、一切の意味ある物語を拒否して脳神話にかじりついてきたことの、現れと思います。そのエピゴーネンみたいなレヴューも、本書の過去のレビューにはあるようですが。ちなみに、「精神疾患の生物学的要因説の普及が精神疾患スティグマ化を改善するどころかひどくしていることが、色んな実証的調査から明らかになりつつあるという、恐らく当事者や支援団体にとって最も衝撃的な事実」が、『クレイジーライクーアメリカ』に紹介されています。参考までに。