アグリッパ・ゆうの読書日記6『中核VS革マル』立花 隆  (著) (講談社文庫)

『中核VS革マル(上)』立花 隆  (著) (講談社文庫) 1983

【この時代の亜インテリ(マスコミ人士)に共通の幻想を脱しえていない証言に期せずしてなってしまった】

 

うーん、これが時代と言うものでしょうか。せっかくの力作ですが、読むのが遅れすぎたため、「この時代の亜インテリに共通の幻想を脱しえていないサヨクへの過大評価ぶり」としか言えないことになってしまいました。

 典型的なのが、1982年に書かれた文庫版「まえがき」の末尾。「‥‥現在、過激派のもつポテンシャル・エネルギーには、いつあの”過激派”が再来しても不思議ではないだけのものがあるということだ。近々、”退潮から反転へ”が、”反転から高揚へ”となっていく可能性がきわめて強いということだ。‥‥現在、‥‥中核派革マル派の間で極めて特異な形で展開されている、想像を絶するほど激しい内ゲバの帰趨は、次なる高揚期の動向を決定づけるもっとも大きなファクターの一つとなるだろう。」

 次なる高揚期など、とうとう来なかったことは今では誰でも知っている。何が起こったのだろう。そう、国際情勢の変化だ。まず、日本を含めて世界中の反体制的(笑)亜インテリの偶像だったヴェトナム共産党政権の軍隊が、隣国に攻め入り、ポルポト政権(カンボジャ共産党毛沢東派)を戦争によって壊滅させた。次に、同じくサヨク的亜インテリの偶像だった中国共産党軍がヴェトナムに侵攻し(=中越戦争)、社会主義国同士は戦争せずの幻想を木端微塵に打ち砕いてくれた。その副産物として、カンボジャ共産党毛沢東派(ポルポト派)政権による、自国民200万人虐殺が明るみに出た。極め付きはベルリンの壁崩壊に象徴される共産圏崩壊だ。それは、この「あとがき」が書かれたもう7年後に迫っていた‥‥

 このようにして歴史の歩みを振り返ってみると、日本と言う国の内部に限定された「内ゲバ」なるものも、次なる高揚期の動向を決定づけるファクターどころか、マルクスレーニン主義に代表される20世紀のあらゆる形の社会主義という名の全体主義運動の、日本における局所的な断末魔のあがきに過ぎなかったことが見えてくる。

 本書は、このように、国際的視野を持たないローカルなジャーナリストにとって、情勢を読むことはいかに困難だったかの、歴史的証拠にもなってしまっている。無理もないことだ。本書に描かれている「学生活動家」と厳密に同時代人であった評者にとってもまた、20世紀中にベルリンの壁が崩壊するなど、夢にも思わなかったものだ。そして、今年2014年は、日本の内なる最後の(文化的意味での)ベルリンの壁たる、朝日新聞の崩壊の序曲を聴こうとしている。

 そんなことを思って、感無量でした。

2014年12月18日