アグリッパ・ゆうきの読書日記9:サヨクからの脱カルトカウンセリングにヒントを与える『日本共産党と中韓 - 左から右へ大転換してわかったこと -』

筆坂 秀世『日本共産党中韓 - 左から右へ大転換してわかったこと -』 (ワニブックスPLUS新書) – 2015/6/8

 著者と同世代で、大学紛争を通じてサヨク勢力の実態を、内側からも外側からもつぶさに見て来た者として、すでに知っていることもあったが共感するところもあった。

 ただし、最も感銘を受けた部分が、友人が送ってくれた林健太郎『昭和史と私』(文春文庫)への感想文をそのまま引用して本書の結びとした部分であり、著者自身の文章ではないので、星ひとつ減らしておいた。

 その引用部分のうち、林健太郎の著書からの引用がためになるので、またまた引用しておこう。

 「‥‥ひとたび捕えられたイデオロギーから脱却するというのはなかなかむずかしいものである。それはそのイデオロギーの唱える理論が客観的事実と合致しなくなることによって生ずるのであるが、その過程がまた決して簡単ではない。というのはかつて信じた真理の誤りを認めるのは辛いことであって、そこで初めはなるべく認めまいとする。都合の悪い事実は『デマ』であるといって否定する。」

 「‥‥そして否定し得ない事実が存在しても、それは本質的ならぬ現象だとしたり、あるいは努めてそれに触れず顧みて他を言ったりして、その意義を務めて小さなものにしようとする。」

 「‥‥しかし、それも次第に通用しなくなってそのイデオロギーは破れるのであるが、それには時間がかかり、その途次それはいろいろな形をとるのである。」

 と、こう、林氏の著書から引用しながら、この友人は、「現在も左翼を続けている多くの者は林氏と同じ経路をたどりながらも、自らの思考回路を整理できず、どこか途中で引っかかっていたり、無理矢理正当化しようと無駄な努力をしたりしている」と、手紙を結んでいる。

 ここらあたり、「サヨクからの脱カルトカウンセリング」にとって、色々ヒントとなる部分だ。ちなみに評者がこのような造語を使うのも、日本の戦後左翼の背景をなしたマルクス主義とは、単なるイデオロギーではなく宗教であり、キリスト教イスラム教に次いで世界史に登場した最後の世界宗教マックス・ウェーバーの定義でいう救済論的世界宗教である、という認識に基づいている。

 科学は真理を追求する。保守やリベラルなどの政治的思想は、正義の実現のための政策を追求する。科学は政治思想ではなく、政治思想も科学ではないから、「真理」の守護者と「正義」の守護者とは、通常は別である。ところがマルクス主義だけは、「科学的社会主義」という別名が示すように、真理と正義が一体化している。

 真理と正義とを兼備することは、前近代に発祥した宗教の特徴であり機能であった。ところがマルクス主義だけは、近代に誕生したにもかかわらず、真理と正義の一体化という救済論的世界宗教の性質を色濃く残している。

 ここに、脱サヨクが容易でない理由がある。単に政策の良し悪しを見て支持政党を変える、といった話とはわけが違うのだ。「善し悪し」の判断を変えるだけでなく、「真偽」の判断をも変えなければならなくなる。世界観全体を変えなければならなくなるのだ。私たち、保守やリベラル等のフツーの人間にとって、自分の世界観と支持政党とは別物だが、左翼の人間にとってはそうでうはないのだから。

 そんな困難を伴うサヨクからの脱カルト運動にとって、林健太郎氏のような貴重な事例を教えてくれただけでも、本書を読んだ価値があったというものです。

 なお、補足すると、この著者は「左から右へ大転換」したのではなく、「左翼全体主義からリベラルへと大転換」したのである。リベラルなどというと、左翼の隠れ蓑に使われてしまって値打ちを落としているが、本来はサヨクとは対極の、自由党員のこと。「リベラル(自由主義者)」という歴史的に由緒ある言葉を、左翼全体主義者による僭称から奪還するためにも、積極的にリベラルを自称したい。2016年3月26日