アグリッパ・ゆうきの読書日記10:ブルデュー著『ホモ・アカデミクス』は、学界におけるマルクス主義支配の過去という日仏共通のテーマへの手がかりを与える

『ホモ・アカデミクス 』ピエール・ブルデュー (著), 石崎 晴己 (訳)、藤原書店、1997

標題のようなテーマへの手がかりが散りばめられている。

そんな一節を、忘れないうちに引用しておこう。

「‥‥学問的に時代遅れになった生産者たちが、学問的業績に対する政治的批判という手段に訴えて、自分を凌駕する者をこちらが凌駕しているのだという幻想を、自分に、そして自分の同類たちにも与える、そういう政治的批判の形態などはあまさず調査する必要がある。歴史学におけるマルクス主義の現状ーーこれまでになされたそれの社会的使用法の実際の中で見られる限りでのーーは、『人民』や『民衆的なるもの』へのすべての参照によって、学問的にもっとも貧しい者たちが、学問的判定者たちに対する政治的判定者に自らを仕立てあげるための、最後の手段という機能をしばしば持っていることを見過ごすなら、理解できないであろう。」(p.60)

 思い起こすのは大学入学した当時のこと、革命(笑)への隊列に加われと勧誘に来たマルクス主義系の学生運動家に、自分は分析哲学をやりたいが革命が起こっては学問の自由は守れそうもない、と言って断ったところ、「人民に役に立たないような学問の自由は守る必要がない」と凄まれたことだ。その後、評者は哲学の道には進まなかったが、半世紀たった今、分析哲学の隆盛とマルクス主義哲学の凋落どころか消滅ぶりを横目でも見ることができる。まったく、当時、学園紛争の頃すでに、マルクス主義は学問的には最も貧しくなってしまっていたにもかかわらず、「人民」を引合いに出すことで大威張りしていたのだと分かる。その後、マルクス主義が凋落してからも、「被抑圧者」を引合いに出して威張ろうとする風潮は、フェミニズムや各種の反差別運動に引き継がれて、いまだに跡を絶たない。

 まだそこまで読んでいないが、本書の最終章には、1968年のいわゆる5月革命の分析が加えられている。日本でも必要なのは、同時代の「全共闘新左翼」運動なるものの冷静な分析ではないだろうか。二度とあのような、青年全体主義運動を再来させないためにも。そして、分析研究の結果がまとまったら、これもフランスの研究者が出している『共産主義黒書』にならって、『全共闘黒書』という本にするのだ。

(2017年3月22日)