アグリッパ・ゆうの読書日記11:『精神障がい者の家族への暴力というSOS』で考える家族への差別

『精神障がい者の家族への暴力というSOS――家族・支援者のためのガイドブック』 ( 蔭山 正子 (著, 編集) 、明石書店 2017

【精神障がい者差別の背景にある精神障がい者家族への差別が見えてきた】
世界的に見ても画期的な本です。それは「はじめに」の次のくだりを読むだけでわかります。
‥‥精神疾患は、未だに多くの一般市民にとって「よくわからない」病気である。「怖い」「わからない」ことからくる不安は、精神障がい者を社会から排除するという施策につながってしまったのだろう。「怖い」と思う主な理由は暴力である。ゆえに、暴力の問題は、精神保健医療の核心とも言える。/欧米では、社会防衛的観点から犯罪歴や他人への暴力について多くの調査を行ってきた。しかし、世界が誤っていたことがある。精神障がい者による暴力は、外で見ず知らずの他人に向かうことは稀で、多くは家庭の中で家族に向かう。‥‥暴力の問題は、家族への暴力に焦点が当てられてしかるべきだが、家族への暴力に関心が払われることはなかった。/本書が扱う、精神障がい者から家族への暴力については、世界的に研究が少なく、「無視されている研究領域」と言われている。それは、社会防衛ばかりに注意を払っていた社会の問題であり、精神障がい者への偏見を助長させたくないために家族や関係者が暴力の事実に蓋をしてきた問題でもある。家族への暴力の発生率を示した研究は、世界で7つしかない。私たちの研究がその中の一本だ。‥‥/‥‥以前、保健所で保健師としてご家族から精神障がいの方を治療につなげる相談を多く受けてきた。その中でご家族が暴力を受けていることを知っていた。しかし、今の制度では家族をすぐに助けることはできないとあきらめ、「危険なときには110番してください」「逃げて下さい」と言うのみだった。家族の凄まじい現状に積極的に向き合うことを避け、見て見ぬふりをしていたとも言える。この研究では、多くのご家族がインタビューで過去の辛く思い出したくない経験を話し、またアンケート調査に回答してくれた。調査の説明をした際に、ある父親から「今まで助けを求め走り回っても解決できなかったことをあなたに解決できる訳がない!無意味だ!」と激しい剣幕で言われた。その父親がどれほどの思いで戦ってきたのかが痛いほど伝わってきた。私は、暴力の問題を知れば知るほど、その問題の深刻さを目の当たりにすることになった。/家族への暴力の問題に取り組み、分析と議論を積み上げていくと、問題の核心が見えてきた。それは驚くべき結果だった。これまで家族に向く暴力の問題は、障がい者への配慮として扱われなかった側面があった。つまり障がい者を加害者として扱ってはいけないという配慮だ。しかし、結果は反対だった。障がい者はむしろ被害者だった。‥‥社会での生きづらさからくる苦悩やトラウマが、傍にいる家族への暴力となって表出されている側面があったのだった。精神医療や地域支援あるいは社会の至らなさが障がい者を苦しめ、家族を追い込んでいた。‥‥
 引用が長くなりましたが、あとは読んでいただくことを願うばかりです。評者個人の感想としては、この本の問題提起を超えて、精神科医が家族の蒙る暴力の問題に無関心なのは精神科医が患者家族をバカにしているからではないか、という疑いを投げかけたい。この疑いを評者は、半世紀前、東大医学部を中心に青医連なる反精神医学をかかげたエリートの反体制(笑)集団の一員の医師が、ある雑誌に書いていた記事を読んでいて抱いたのでした。それはまさに患者家族を小バカにしきった文章だったのです。
 といっても、半世紀前の記事なので引用するわけに行かないのが残念と思っていたら、たまたま手にした『造反有理ーー精神医療現代史へ』(青土社、2013)という、東大での社会学者の書いた本に、まさに絵にかいたような患者家族蔑視の文章が出ていたので、引用します。
 ‥‥「問題は誰がなおしたいかということです。身体病の場合は主として本人がなおしたいのであり、精神病の場合は主として社会がなおしたいのです。」(吉田)という、患者当事者の言葉を引いて、次のように述べているのです。
 「‥‥当たっている。社会と言っても小さな社会もある。家族に発病した人がいて、当惑する。ときにははっきり迷惑であり、疲労困憊してしまう。困るのは近所の人でもあるかもしれない。つきあい、扱いに困ってしまう。自らの身が危ないように感じられること、実際危ないこともある。それで精神病院で面倒を見てもらうことにする。‥‥」(p.300)。
 評者はあっけにとられてしまったものです。「家族に発病した人がいて当惑する」だって?なにバカなことを言っているんだろう。評者の知る限り、わが子が統合失調症の診断を受けると母親は一晩中泣き明かします。そう、「家族に発病した人がいて、頭が真っ白になり、嘆き悲しむ」のです。こんなことも分からないほどに、この、立岩とかいう東大大学院卒でブランド大学の社会学教授さんは、人間性を失ってしまっているのでしょうか。その点、本書『精神障がい者の家族への暴力というSOS』では、次のように正確にしかも暖かいまなざしで述べられています。
 「子どもが精神疾患に罹患した親が、その衝撃から心的外傷後ストレス障害を引き起こす可能性があることも指摘されているように、家族が精神疾患を患うこと自体が、大きな衝撃となる。また、専門家とのコミュニケーションは必ずしも満足いくものではないことも実態であり、家族には怒りや無力感、自責の念など様々な感情が生じる。愛する家族が精神疾患であるという事実に直面することの衝撃や落胆も大きい。それまでの家族像を失う、喪失体験でもあるだろう。精神障がい者に対する社会的な偏見、そして患者自身(本人)やその家族の持つ内なる偏見が、より孤立した状況を強めてしまうことも少なくない。このような状況の中で、多くの家族が本人と同居し、疲弊しながらも療養生活を支え続けている、というのが日本の現状である」(p.39)。
 まさに、東大病院の精神科医や東大出身の社会学者と言ったエリートたちの、患者家族に対する偏見差別のまなざしにこそ精神障がい者差別の根源があることを、気づかされたのでした。2017年7月20日