アグリッパ・ゆうきの読書日記14:『幻想の過去ー20世紀の全体主義』(フランソワ・ヒュレ)は日本ではあり得ない大変な労作!

『幻想の過去―20世紀の全体主義』 フランソワ フュレ (著), バジリコ、2007

おそろしくぶ厚いが、著者の(そして多分訳者の)流麗な文体が、分量を感じさせない。
 それでも一気には読めず、時々数章を拾い読みしているが、時々、引用したくなる箇所にであう。今日も、ルカーチを扱った章で次のような箇所に出会ったので引用しておく。
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‥‥それでもコミュニズム信仰は、人々の精神的エネルギーの全面的傾注の対象になることにおいて、他に突出した成果を挙げてきた。それは何よりもコミュニズム信仰が、科学と道徳を一つに結びつけているがごとき外観を呈していたからである。科学的理由と道徳的理由という、元来次元が異なるはずの基本的行動理由が、コミュニズムにあっては奇跡的に結びつけられていたのだった。コミュニズムの闘士は、歴史法則の完成に携わっていると信じながら、資本主義社会のエゴイズムと戦い、人類全体のために戦ったのである(p.197)。
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 この、科学と道徳との見かけ上の結合というコミュニズムの秘密について、評者が属していた学会でも次のような文章を書いたことがある‥‥「そこ[マルクス主義]では往々にして、政治的『正義』が科学的『真理』によって支えられ(たとえば革命の必然性)、科学的真理探究の場に正義の名の下にイデオロギーが介入するという(たとえばルイセンコ事件)、全体主義的悪循環が生じた」(渡辺恒夫「環境問題シンポジウム(1992) から16 年:環境科学の科学基礎論へ向けて」科学基礎論研究,Vol.37, No.1, 49-58, 2009)。
 ひらたく云えば、社会的正義としての革命を、マルクス主義は科学的必然と主張する。科学的必然ではないだろうという科学上の反論を、今度は、革命への反対論は社会的悪である、という論法で批判する。マルクス主義におけるこのような科学的真理と社会的正義の閉じた循環こそ、カール・ポパーが予見したように、あらゆる社会主義国家が全体主義へと帰着するゆえんの論理構造なのだ。
 著者はフランス革命研究の泰斗で、かつてはマルクス主義的立場から研究していたという。本書は、マルクス主義を離脱して、冷静で客観的な視点で、フランス革命からロシア革命、そしてソ連の終焉にいたるまでを、分析している。いろんな点でフランスの特に知識人のマルクス主義に対する傾倒と、日本のそれとは類似しているので、参考になる。ただし日本ではこのような本格的な研究書は、決して現れないだろうところが、違いと言えば違いだが。(2018年)