アグリッパ・ゆうきの読書日記16:恐竜の如く時代に取り残されたマルクス原理主義者の悲劇『東京大学学問論 』

東京大学学問論  佐々木 力 (著),作品社  2014

恐竜の如く時代に取り残されたマルクス原理主義者の悲劇

 

この著者はしきりにセクハラ冤罪を主張しているが、それにしては書くのを隠していることが少なからずある。その一つに、本書にも「労働者の力」として出て来るトロツキスト組織(第四インターナショナル日本支部の流れを受け継ぐ)が、著者の佐々木をセクハラの罪で除名処分にしていることだ。インターネットで「労働者の力 佐々木力」を打ち込めば簡単に、「労働者の力」掲載の事実経過報告と声明文を読むことができる。

 知らない人のために言っておくと、この第四インターナショナルとは、スターリン旧ソ連邦を追われたトロツキーが、スターリンに対抗して作り上げた組織。その日本支部は、昔は中核や革マルと一体だったが、サヨク党派の例にもれず、分裂抗争を重ねて小さくなった挙句、成田「闘争」での野営中に女性メンバーへの集団強姦事件を起こして、日本支部の資格をはく奪された。そんな過去があるからこそこの種の事件にはナーヴァスで、看板の筈の佐々木を除名するに至ったのだろう。否、そんな推測をせずとも、この事実報告を読めば、佐々木の行為が本書に述べられたような生易しいものではないことが分かる。本書で東大関係者への誹謗中傷の限りを尽くすくらいなら、同志であるはずの労働者の力をまず説得すべきだったのに、全くそれが出来ていない。

 それにしても、当の訴えを起こされた台湾人留学生Yさんとのトラブルが発生するまさにその日に、佐々木は自分で書いているように事務の女性にも訴えられている。頼んでおいたコピーの仕事をきちんとやらなかったこのXという女性を、厳しく叱責したところ、Xはワッと泣きだし研究室主任の教授の部屋に駆け込んだ。主任がXを伴って出てきて、セクハラじゃないですか、と咎めた、とある。佐々木は後に、Yとの仲介に当たった別の留学生にも、訴えを起こされるにいたっている。3つも訴えが重なったのは、たとえ主観ではセクハラの積りがなかったとしても、何か問題があると思わざるをえない。私は著者の佐々木とほぼ同年輩だが、自分の大学で事務の女性を同じように叱責しても、ワッと泣かれるなど考えにくい。逆にオツムの状態を心配されるのがオチだろう。

 つまり、この著者の権威性と内に秘めた暴力性が、事務の女性を脅かせワッと泣かせることになったのだと、想像せざるをえない。この権威性と内に秘めた暴力性こそ、この著者の文体に時々感じるところだし、また、若い頃に読んだマルクスレーニンの文体に覚えた違和感にも通じるところなのだ。

 といって、本書がまるきりダメという訳ではない。大学院生を少し厳しく指導しただけでパワハラアカハラ、女性院生の場合ならセクハラ呼ばわりされるという、本書でも知人の言として紹介されている現状への批判・告発の書としては読むに値する。だから星ひとつおまけをしておいた。けれども、アメリカにもセクハラでっち上げを内部告発するような良心的フェミニストとドゥオーキンのような男性ヘイト型フェミニストがいることに気づいたはいいが、後者を「右翼フェミニスト」と呼ぶ文献を探し出してきて、鬼の首でも取ったかのように「右翼フェミニスト」を連発するのはいただけない。左=正義、右=悪という、黴の生えた公式を恥ずかしげもなく振り回す貧寒に過ぎるステレオタイプ思考ぶり。自分の思考力が残っているなら「右翼」以外のレッテルを案出してみたらどうだろうか。評者なら「フェニミスト・レイシズム」という呼称を使う。男性ヘイトが昂じて男性が女性と別の「種」(race)であるかのように見えてくるという精神状態のことだ。

 それともう一つ、この著者を悲劇的にしているのは、保守派ならトランプ支持者の白人のようにポリティカルコレクネスはもう沢山よ!と叫べば済むところを、あくまでマルキシストとして弱者の味方でなければならないという矛盾ゆえに、権力による(笑)陰謀論を作り上げて自分はその犠牲者だ、といったお話にせざるをえなかったことだろう(ホントに自分で信じているんだろうか?)。おまけに「前衛組織」(笑)からも除名されたとあれば、もはやマルクス主義者としての存在理由はゼロどころか、負の広告塔になってしまったと言わざるをえない。2017年