研究日誌(2021/3/1):『現実とは何か』

■『<現実>とは何か』(西郷甲矢人・田口茂、筑摩書房、2019)を読み始める。

まだ第1章だが、面白いくだりがあったので、引用しておく。

「観測者から独立である」といっても、一切観測されないのであれば、「物」として問題にすることさえできない。「観測者から独立である」とされる「物」も、何らかの仕方で観測され ているはずである。観測はされるのだが、その観測のされ方が、「誰から見ても、どのような仕方で見てもある」という形をとっているのが、「観測者から独立である」ということである。つまり、「独立」と言っても、観測者が無関係になるわけではなく、観測者との関係をどのように変換しても、つねに「それがある」ということは変わらないということである。これは要するに、「観測者から独立である」といわれるあり方を、「観測者を考慮に入れた変換規則の恒常性」というより普遍的な恒常性に、その特殊な一例として組み込むことができるのである。

 だから、前者から後者がどのように導けるか、ということは、発見の順序としては問題になりうるとしても、本当の意味で前者から後者を「導出」することができるはずがない。むしろより普遍的な恒常性である後者から、どうして前者のような特殊な恒常性の成立が可能になるのか、ということの方が、実は自明でない問題なのである(pp33-34)。

 ‥‥「場」の根本的な規定は、「変換規則の恒常性」というものである。「変換規則」というからには、「何の変換規則か」という問いが当然つきまとう。「何の」ということを抜きにした「変換規則」というものは意味を失う。「変換規則」とは、「現われ」の変換規則で会って、「現われ」を捨象した単なる形式ではない(p.36)。

 ‥‥粒子は「ここ」ではないどこかに現われてもよかったはずだが、なぜ「そこ」ではなく「ここ」に現われたのか、については、物理の理論としては沈黙せざるをえない」(p.45)。