アグリッパ・ゆうの読書日記(2022/02/18)ドストエフスキー『白痴』を半世紀以上たって再読した

■『白痴』(ドストエフスキー米川正夫訳、岩波文庫、改版1992)を半世紀以上たって再読しました。

初読はたぶん、10代末の頃か。
きっかけは、小林秀雄ドストエフスキー論に引用されている夢についての洞察が何頁にあったか、正確なところを、自分の仕事の必要上、知りたかったから。

 というか、拙著『夢の現象学・入門』(講談社選書メチエ、2016)の冒頭で引用しておきながらも、小林秀雄からの孫引きで済ませていたので、原典完でのでの頁数を知ることが必要になったから。
下巻の半ば近くまで読み進めて、やっと見つけました。
「夢からさめて、すっかり現実の世界に入ってしまったあとで、何かしら自分にとって解くことのできない謎を残して来たような気が、いつもほのかにするものである。」(p.250)
 小林秀雄による引用に比べれば(改版時に改めたものか)漢字が減っている他は、間違いない。思ったとおり小林秀雄米川正夫訳で読んでいたのでした。
 他に、初読の際、深く印象に刻み付けられていた神秘的な洞察を引用しておきます。
「ぼくのいたその村に滝が一つありました。あまり大きくはなかったが、白い泡を立てながら騒々しく、高い山の上から細い糸のようになって、ほとんど垂直に落ちてくるのです。ずいぶん高い滝でありながら、妙に低く見えました。そして、家から半露里もあるのに、五十歩くらいしかないような気がする。ぼくは毎晩その音をきくのが好きでしたが、そういうときによく激しい不安に誘われたものです」(上、p.114)。ムイシュキン公爵が初めてエパンチン家を訪れて、ヒロインのひとりアグラーヤほかの三姉妹に、スイスの高原での療養生活について語った、その最初の方に出てくる描写です。最初に読んだ時は、遠近法が狂うというか、いいしれぬ眩暈に襲われたような気がしたものです。存在論的眩暈とでもいうべきか。
 次のくだりは、本作を通じてもっとも印象的で神秘的な描写です。やはりスイスでの療養生活のことが描かれています。
「あるとき太陽の輝かしい日に山へ登って、言葉に言い表わせない悩ましい思いをいだきつつ、長いあいだあちこち歩きまわったことがある。目の前には光り輝く青空がつづいて、下の方には湖水、四周には果てしも知らぬ明るい無窮の地平線がつらなっていた。彼は長いことこの景色に見入りながら、もだえ苦しんだ。この明るい、無限の青空にむかって両手をさしのべて、泣いたことが、今思いだされたのである。彼を悩ましたのは、これらすべてのものに対して、自分がなんの縁もゆかりもない他人だという考えであった。ずっと以前からー-こどもの自分から、つねに自分をいざない寄せているくせに、どうしてもそばへ近づくことを許さないこの歓宴、この絶え間なき無窮の大祭は、そもいかなるものだろう?‥‥いっさいのものにおのれの道があり、いっさいのものがおのれの道を心得ている。そして唄とともに去り、唄とともに来る。しかるに、自分ひとりなんにも知らなければ、なんにも理解できない。人間もわからない、音響もわからない。すべてに縁のないけものである。‥‥」(下、p.191-192)
 なんとも神秘的な、存在論的疎外感の描写というべきでしょう。