アグリッパ・ゆうきの読書日記(2022/5/2):『真説 日本左翼史:その源流1945-1960』池上彰・佐藤優(講談社、2021)

続編の『激動 日本左翼史 1960-1972』を先に読んだが、厳密に同時代人である評者にとっては知っていることばかりで余り面白くなかった。それに対してこちらは、評者が小中学生の頃で、うっすらと記憶にある程度しか知らないので、結構ためになった。
 そもそも佐藤優がこの本を構想したのは、「現在の世界で顕になっている社会の機能不全に対して、人々が左翼的な思想に再び注目し、左翼勢力が台頭する可能性は非常に高いと思っている」(p.17)ので、その日にそなえ、左翼とは何だったのかについて、歴史的に明確にしておかなければならないからだという。
 実は最初と最後の章しかちゃんと読んでいないが、とりあえず記憶にとどめておきたい個所を引用し、必要に応じてコメントておく。
「佐藤 あるいは「左翼」と「リベラル」が全然別の概念だということも理解されていません。本来はリベラル(自由主義者)といえば、むしろ左翼とは対立的な概念です。たとえば、左翼は鉄の規律によって上から下まで厳しく統制され、またそれを受け入れるものであったのに対して、リベラルは個人の自由を尊重する思想ですから、そうした規律を嫌悪します。でも今では、左派とリベラルがほとんど同じもののように考えられています。」
「池上 ただ、そこには「左翼」と呼ばれることを嫌った「オールド左翼」たちが、自らを「リベラル」と称するようになったことも背景にあるかもしれませんが。」(p.20)
⇒どうせそんなことだろうと思っていたが、よくぞ書いてくれたものだ。ここで、一歩進んで、リベラルの仮面をかぶったオールド左翼のことを、吉本隆明流の言い方を借りて、「偽リベラル・ソフトスターリニスト」と呼ぶことを提案したい。オールドだろうが新だろうが、左翼の行きつく先は習近平の道、つまりスターリン主義しかないのだから。
「佐藤 この左翼、つまり急進的に世の中を変えようとする人たちの特徴は、ます何よりも理性を重視する姿勢にあります。/理性を重視すればこそ、人間は過不足なく情報が与えられてさえいればある一つの「正しい認識」に辿り着けると考えますし‥‥」
「池上 十九~二0世紀の左翼たちが革命を目指したのも、人間が理性に立脚して社会を人工的に改造すれば、理想的な社会に限りなく近づけると信じていたからですね。」
「佐藤 そうです。ですから現在一般に流布している「平和」を重視する人々という左翼観は本来的には左翼とは関係ありません。」(p.21)
⇒理性信仰は確かに、マルクス主義以前のユートピア社会主義(日本では意図的に空想的社会主義と誤訳されている)、たとえばサンシモン主義にも共通している。マルクス主義共産主義)の特徴は、理性信仰を科学信仰まで突き詰めたところにある。だからマルクス主義では政治的正義が科学的真理と一体化してしまう。これが、他の社会主義、たとえば西欧流の社会民主主義と異なり、マルクス主義的国家が全体主義へと帰結するゆえんなのだ。
日本共産党の本質はスターリン主義だ。資本主義の構造悪を断ち切ろうとするためにスターリン主義という別の構造悪を導入することは避けなくてはならない。」(佐藤優 「おわりに」p.229)
日本共産党だけでなく、あらゆるマルクス主義結社がスターリン主義に行きつくことこそ、戦後世界の学んだ教訓ではなかったか?