アグリッパ・ゆうの読書日記(2022/9/22)『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』を再び取り上げる!

■『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(樋田毅、文芸春秋、2021)を少し前に本ブログに書いたが、より整理した形で再度取り上げます。

 革マル派に殺害された文学部の川口君の一年下の後輩でその後朝日新聞記者になった著者が、半世紀後に当時の状況を生々しく描き出し、当時の革マル派幹部を尋ね歩いたりしています。
 この著者の周囲ではリンチにあい登校できず退学した学生多数だったようで、学問の自由以前の状況です。
 ただし、何となく革マル派だけを槍玉に挙げて、トカゲの尻尾切りに持ち込もうという気配があります。
 そもそも中核革マル戦争は、中核が革マル派の海老原君をリンチ殺害して大学病院の前に放置したことから始まっているのです。少し後に革マル派をもう一人殺害しています。
 その時、中核派が要求に応じて謝罪をしていれば、あの凄惨な内ゲバ戦争は起こらなかったかもしれないのです。だから責任は中核にだってある。そんな暴力性では革マルを上回る中核派の集会に出たのだから、川口君だって目を付けられても仕方のない位置にあったのかな、などと思えてきます。
 繰り返し言いますが、暴力性は全共闘運動、さらには当時の反日共系左翼学生運動全体の問題だったにもかかわらず、革マル派に矮小化しているのが本書の問題です。。
 半世紀前は京大〇学部だって似たような状況だったのです(革マルではなく中核と、いまは誰も覚えていないブントなる組織が中心でした)。じっさい評者も、乱闘に巻き込まれて怪我をしたりしたし、全共闘派に研究棟を封鎖されたため実験ができなくなり、その後のキャリアで実験家を断念せざるをえなくなったものでした。
 ところが全共闘派の学生の中にはバリケートの内側で実験をやって論文を書いた者がいました(その後どこかの大学に就職したと聞いていますがコイツだけは許せません。また、同じクラスの全共闘派の学生が、朝日新聞に就職しています。それで分かることは、左翼崩れが大量にマスコミに流入して、いまだにその縮小再生産が続いているということです。こんなんで報道の中立性など守られるわけがありません))。
 このような経験があると、「般化の法則」によって嫌悪の対象が全共闘派だけでなくマルクス主義的左翼全般に及んでしまいます。けれど、寛容なリベラル社会を目指す一人として、そのような感情を引きずっているのはまずいのではないでしょうか。本書の著者の樋口氏も、非寛容に対していかに寛容でありうるかの問いを投げかけています。
 そこで必要となるのが、体験テクストに基づく学問状況の現代史です。『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』(池上彰佐藤優)も読みましたが、著者らが当事者目線ではないので掘り下げが足りません。こちらで目論むのは、色んな立場での直接体験テクストの収集に基づくものです。
 ー-等などと言っても、評者には残り時間が少ないし、そもそも発表場所も簡単には見つかりそうもないので、だれか後から来る人に託せればいいです。
 教授会団交なるものに出たことがあるが、司会の大学院生が「自分は極左暴力主義者だと言われている」と自慢していたことを思い出す。そんな暴力崇拝の時代だったのです。やはり全共闘運動はボルシェヴィズムよりナチズムのヒトラー・ユーゲントに似ている。だれか、戦後最大の青年全体主義運動であった全共闘運動を調査して、「全共闘黒書」を編んでくれませんか。いつまでも証言者がいるとは限らないのだし。