研究日誌(2024/5/12)シュミッツ『身体と感情の現象学』とフッサールの訳語

■『身体と感情の現象学』(シュミッツ/著、小川イ兄/編訳、産業図書、1986)で、フッサール他者論のキーワードAppraesentationの訳のヒントになる部分を見つけたので引用する。

 過去と未来が現在化されていず、また位置時間にはめこまれたりされていずに、従って様相時間が水平化されていないとき、このときに限ってその様相時間を純粋様相時間と呼ぶ。そこで以上のことをまとめれば、根元的な仕方で身体が襲われるという例に即して純粋様相時間は次にのべるような構造をもっていることが明らかにされた。絶対的瞬間としての今は一時的現在あるいは身体の狭さにおいて、自我や現にあるということ、さらにまた私がこれまで無視来て来たこれ以外の契機とも一体となっている。そして、今は未来とも融合して一つの全体をなしているのだが、それは未来が多義的なものを一義化する出来事として〔現在の方からは〕逆行しえぬほど傾斜してきたこれ以外の計ことも一体となっている。そして、今は未来とも融合して一つの全体をなしているのだが、それは未来が多義的なものを一義化する出来事として〔現在の方からは〕逆行しえぬほど傾斜した形で今のなかへと入り込んでくるからである。引き離せぬ仕方で未来と現在という両極の間に張り広げられたこの全体、私はこれを来現(Appraezenz〔「‥‥へ」を表すadと「現在」を表す praesensを合わせたラテン語起源の合成語〕)と呼ぶ。来現へと拡張された現在はまた、純粋様相時間のなかで多義的な過去から、それらをわかつ裂け目によってひきさかれつつも、またそうした仕方で融けあっているのである。(p.207)
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これで見ても、かつて研究日誌2022/6/23記事で論じたように、フッサール他者論のキーワードAppraezentationは、他者論の文脈で「来現前」と訳すのが適切と思われない以上、向現前と訳すのが正しいと分かる。現象学者が用いている共現前は明らかにおかしい。