■「社会に働きかける「経験専門家」」(下平美智代)こころの科学No229(2025年1月号)(pp.2-8)より、抜粋。
「次節では、そうした経験専門家の一人、本橋直人さんの語りを掲載する。‥‥
私は小学校高学年でうつ的な症状が現れ、学校に行くことができなくなりました。突然の変化であり、親も周りの大人も、私自身もちゃんとして対応をすることができませんでした。そこから不登校となりましたが、高校には何とか入学しました。高校在学中に幻聴の症状が出て、統合失調症と診断を受け、治療を続けながらの高校生活でした。‥‥高校卒業後、ある福祉事業所に通いました。数年が経ち、やがて幻聴も落ち着いてきて、一般の就労へと繋がって社会復帰をすることができました。まだ二〇代でした。この頃、運動を中心においた新しい治療法にも挑戦し、幻聴を完全に抑え込むことに成功しました。薬もなくなり、統合失調症は根治したと安堵したのを今でも覚えています。
しかし、こここからが私と精神疾患との本当の戦いの始まりでした。うつ、幻聴、どちらもたいへんな苦難でしたが、それでも最低限の自我は保たれていました。その点で言えば、うつ、幻聴の症状は、まだ大ごとではなかったと今では思います。そこから現れてきた症状というのは、自分の記憶と現実の世界の情報が異なってしまう、知人の性格が変わってしまうなど、多岐に渡りました。とくに私のパソコンやスマートホンの中の情報は自分の認識しているものとは大きくかけ離れていき、開くたびに情報が変化するといった有様になっていきました。私の世界は文字通り本当の意味で、統合が失調した状況へと変化していったのです。そこから、三度の入退院をしましたが、状況は悪くなる一方でした。自分の認識が当てにならず、過去も未来も闇に暮れる状況では正常な精神状態でいられるはずもなく、私は常に不規則な情報を提示してくる世界と戦争をしているような状態でした。ただ、それでも少数、変わらない人たちがいて、その内の一人は通所している先のスタッフでした。その人が私の話を本当のこととして聴いてくれたきとが大きな助けになりました。その後も、変わり続けた世界のなかで粘り強く耐えしのぎ、そこから長い時間かかりましたが、現主治医も驚くような回復をして今に至っています。
私は統合の失調した世界で日々過ごすことで、強いストレスがかかり苦しみましたが、それでも失うものばかりではありませんでした。その時間が私に、そこから生きていくためのある種のギフトをくれました。それは、常識や固定観念というものの脆さを体験できたことでした。私にとって今日は昨日の次の日であるということさえも確信がもてるものではなくなっていました。‥‥」(pp5-6)
精神医学専門家なら、この「症状」に、認知機能障害、特に再認機能や時間的見当識障害を見るかもしれないが、正直言ってこのような不可思議な症状は今まで聞いたことがない。統合失調症にも、また人間精神にも、まだまだ未踏の領野、日の射し込むことのない深淵が横たわっているのだ。