Marc Richir (2006): Leiblichkeit et Phantasiaで指摘されるフッサール間主観性論のパラドックス構造

Psychothérapie phenoménologique , sous ladirection de Mareike Wolf-Ferida (Paris: MJW Fedition, 2006) がアマゾン経由で来たので、Ⅲ. Leiblichkeit et Phantasia, par Marc Richir (pp. 35-45) を読み始める。

 思っていた通り、ひどく難解。

けれど、私がかつて、人間的世界経験のパラドックス構造と名づけて、情報コミュニケーション学研究の論文(2014)で述べ、『人文死生学宣言』でフッサール解読にことよせてパラフレーズしていた事態に相当することを述べているような箇所があったので、以下に該当部分を試訳しておく。

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p.36

 けれども、それが何であれ、もし根源的なもの(primordiale)が単に分析の方法的一段階ではなく、実際に現象学的根拠を備えるとしたら、パラドックスが再燃する(そして困難を複雑化する)。‥‥‥‥

<作業中>