アニメ『家なき子』(1977年製作)を見る

■小学生の頃は科学少年で、「ファーブルの昆虫記」とか「アンナプルナ登頂」とか、野尻抱影の「天体の神秘」シリーズとか、高学年になってはコナンドイルに夢中だったので、児童文学の名作をほとんど読み損ねてしまっていた。

 数年前、『小公子』『小公女』の、明治の名訳を図書館で見つけて読んで、感銘を受けた。まだまた、読み損ねた名作は、「フランダースの犬」「母を訪ねて三千里」「にんじん」と数多い。

 といっても、原作完訳版は「あしながおじさん」で懲りているので、なるべく原作に忠実なアニメはないかと探していたところ、見つけたのが、フランス人作家エクトール・マロ作の『家なき子』。制作は1978年とある。

 この年は最初の就職先、高知大学に赴任した年だ。なんで覚えがないのかというと、当時見ていたテレビアニメは、『キャプテン・フューチャー』と『宇宙戦艦ブルーノア』。つまり、科学少年の成れの果てらしく、三十過ぎてもアニメといえばSFだったらしい。

 家なき子に戻ると、全54話。αアニメに登録しているのでタダで見れる。面白い。それに原作に忠実らしく、何でも舞台になっている南フランスの農村にまで取材をしているらしく、教会を中心とした街並みの佇まいなど、19世紀を如実に再現していると思われた。

 レミは捨て子だったが村の農家で優しい母に育てられる。そこにパリに出稼ぎにいっていた養父が事故で足を痛め、おまけに裁判で負けて文無しになって帰ってきて、レミを、猿と三匹の犬を連れた旅芸人に売り払ってしまう。8歳のレミの旅立ちだった。

 旅芸人ビタリスはイタリアから来た謎めいた老人で、音楽と芸とそして生きるための心得を教えてくれ、レミはお師匠さんと呼んで慕う。でも、トゥールーズの町で、ビタリスは警官といさかいを起こして投獄され、犬と猿を連れて一人で生きるために小さな座長となる‥‥

 これでもかこれでもかと不運がレミを襲い、かわいそうで見ていられなくなる。でも、第9話「思いがけない出来事」の最初の方で、竪琴をつま弾きながらピレネーの山脈に向かって歌う姿は、可愛いさを越えて美しい。とても感動しました。

■追記(2022年2月20日

毎晩1話か2話ずつ見て、一週間前に全51話を見終わって、いまだに余韻に浸っています。特に後半からのオープニングアニメには、竪琴を爪弾きながら歌うレミの姿があしらわれていて、印象的です。
 竪琴弾きの旅する少年といえば、ゲーテの『詩と真実』にも出てきて、旅の途中で出会った若きゲーテは、フランクフルトに戻ると自宅の隣の家を借りて住まわせるなど、何かと面倒をみてやっていたようです。研究論文によると、この少年があのミニヨンのモデルらしいとのこと(性別が変わっていますが、ミニヨンという男性名詞に、元の名残が留められているとか)。ゲーテは1749年生まれだから、1770年か1780年代頃、つまりフランス大革命以前で、まして遅れていたドイツは中世と言ってもよい社会で、竪琴弾きの旅する少年がいても不思議ではないのですが。

 それが、ドイツに比べると一足先に近代化していたはずのフランスの、それも19世紀半ばでも、旅芸人一座という位置づけですが、家なき子の主人公が、竪琴弾きの旅する少年だったなんて。遅まきながらの嬉しい発見です。

 とにかく、原作に忠実だというこのアニメを見ただけでも、家なき子(Sans famille)という作品が、フランス・イギリス・スイスを股に掛けたスケールの大きさから言っても、波乱万丈の筋立てからいっても、そしてまたレミがお師匠さんと慕うヴィリタス老人の一座の人物造形(犬や猿もいるから動物造形というべきか)のユニークさからいっても、児童文学史の金字塔といっても過言ではありません。
 調べてゆくと、2020年にはフランスの実写映画として家なき子が日本でも公開されていたのですね。その監督も、この、出崎統監督の日本製アニメを子どもの頃にみたことが、今回の制作のきっかけになったらしい。当時(1978)は、フランスイタリアなどでも放映されて評判になっていたらしいのですね。

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