研究日誌(2022/12/22)アモーダル知覚再論

研究日誌(2021/1/21)ヤスパース『精神病理学原論』/アモーダル知覚

を受けて、アモーダル知覚(感覚様相なき知覚)についてはさらに、今世紀に入ってからのアルヴァ・ノエ『知覚のなかの行為』(門脇俊介・石原孝二(監訳)、春秋社、2010)でも取り上げられていると気づいたので、抜粋する。

「〔カニッツァの三角形の〕この現象では、心理学者が非感性的知覚〔amodal perception:非様相的知覚〕と呼ぶものの一例である。私たちは、カニッツアの図における円盤の遮蔽された部分を、知覚の中で非感性的に〔amodally〕現前する者として知覚する。」(pp.93-94)p.95

「私は、猫が柵の向こう側で部分的に隠れていることを見ることができる!これがまさに非感性的知覚の例である。ひとは、視覚から消えていると自らが知覚しているものの現前を経験する。」(p.95)

「トマトの全体性についての私たちの知覚的感覚ー-大きさや裏側などーーは、例えば左から右へと身体を動かすことがトマトのさらなる部分を視界にもたらすだろうという私たちの非明示的な理解(私たちの予期)の内にある。トマトの見えない部分と私たちとの関係は、感覚-運動的付随性のパターンによって媒介されている。同様の点は遮蔽の諸現象に値して広くあてはまりうる」(p.96)。

「厳密に言えば、見られていないもの(トマトの背面)が知覚的に現前するという感覚と、見られているないもの(隣の部屋)が(非知覚的に)現前するという感覚との違いは、程度の問題であることが、これらの考察によって明らかになる。」(p.99)

以上、キネステーゼとアモーダル知覚は切り離せないというのが、ノエのエナクティヴな、あるいは感覚運動的なアプローチとなる。

 これらは、主客問題とは現代の現象学認知科学・哲学においては解決済みであることを示唆している。個人的には、自他問題から派生した疑似問題であると考える。

 一方、他者問題の真の難問性は、他者をどのように理解・認識すれば、本当に理解・認識したと言えるかが、よく分からない、という処にある。

追加。「客観的なものとは‥‥法則にしたがっているもののことであり、思考されたり判断されたりしうるもののことであり、言葉で表現できるもののことである。純粋に直観のみが可能なものは、伝達することができない」(Frege[1884]1950, 35)(pp. 194-195)