アグリッパ・ゆうの読書日記(2024/01/30)『女装の聖職者ショワジー』

■『女装の聖職者シュワジー』(立木鷹志著、青弓社、2000)を読む。

 なんとも驚いたものだ。今まで女装の剣士シュヴァリエ・デオンものは何冊か読んできたが、その1世紀前、同じブルボン王朝のフランスに、それと劣らぬ妖しい美貌の人がいたなんてことは、最近までうかつにも知らなかった。
 この二人を並べて紹介した文献がないか検索したところ、1つ出てきた。
西洋史おもしろ小話集:ブルボン王朝の二人のニューハーフ」という。

  ニューハーフという語感はいささか古いが、手軽に写真も楽しめるので、リンクをはっておいた。

 なぜタブーの厳しいカソリック世界で、公然女装ができたかというと、フランスの貴族社会では、性別を問わず美しいということに非常な価値が置かれていたからだろう。

 美貌を引き立てるために、女装をした。それが、少なくとも貴族社会では公認されていたのだ。

  そのような趣旨を述べたくだりを引用しておく。

「‥‥ティモレオン〔ショワジーのこと〕の女装は、彼自身が再開した〔18歳まで母の影響でしていた〕というよりも、ラ・ファイエット夫人とラ・ロシュフコー公爵の行為的後押しがあって始まったのである。‥‥世間はこのティモレオンの反社会的な行為に対して、非難や抵抗を示さなかったばかりか、むしろ好奇と称賛の声をあげたのである。

 こうして女装を公然と恥じなかったティモレオンを正面切って避難したのが、モリエールの『人間嫌い』のアルセストのモデルと言われるモントージェ公爵であった。モント―ジェ公爵は王太子の保育係であり、その頑固一徹、実直な性格を知らぬ者はいないほどの人物である‥‥

 ‥‥こうして、ティモレオンが王太子殿下のボックス〔オペラの〕に来て挨拶をし、世間話をしているところに、用事を終えたモントージェ公爵が戻ってきたのである。

 ティモレオンの格好は、‥‥薔薇色のリボンとダイヤをつけ、つけぼくろを付けていた。人々は非常に美しいと評判にしていたが、モントージェ公爵はそうしたティモレオンに意見をしたのである。

 ーー奥様、それともお嬢様でしょうか(私はあなたをなんとお呼びしていいやらわかりませんが)、お美しいことは認めます。しかし、せっかく男に生まれながら、そんな女の格好をして恥ずかしくはないのですか。さあさあ、お行きなさい。王太子様はあなたのそんな恰好をはなはだ不快にお思いです。

 おそらくティモレオンには、社会道徳の権化のようなモントージェ公爵の歯に衣着せぬ言葉がこたえたのだろう。この事件がきっかけでティモレオンはパリを去り、ブールジェからほど近いクレポンの館にデ・バール伯爵夫人を名乗って居を構えることになったのである。(pp.54-55)。