研究日誌(2024/1/17)見当はずれの精神疾患アンチスティグマキャンペーン

■「精神疾患スティグマ:わかっていること・いないこと」(山口創生著、『精神保健福祉』Vol.54, no.3, 216-223, 2023) を読む。

特に次の段落が目を引いた。

「‥‥精神疾患に対する正しい知識が長期にスティグマの減少につながるかは、近年の研究から疑問がもたれている。例えば、欧州の研究では、1990~2005年の間に統合失調症を脳の病気と考える人の割合は増えたが、同時期に統合失調症の人を同僚として受け入れるとした人の割合は減少していた(Schomerus et al :2012)。同様に、米国では、1996~2018年の間で、統合失調症うつ病を脳内神経物質の異常と考える人が増えていた。同時期、うつ病に関しては、職場で一緒に働きたくないと思う人は減少したが、統合失調症ではむしろ増加していた(Pescosolido et al:2021)。これらのデータは正しい知識が否定的な態度につながるという因果関係を示すものではないが、とくに統合失調症のアンチスティグマの文脈における教育内容は再考の時に来ていると指摘されている。‥‥」(pp220-221)

 この文章は、精神疾患、特に統合失調症のアンチスティグマキャンペーンが、二重の意味で見当外れであったことを示唆する内容になっている。

 第一に、統合失調症は脳の病気だと分かりさえすれば腎臓病が腎臓の病気であり肝臓病が肝臓の病気であるのと同じ意味で「普通の病気」であって、従って偏見が減じる、などと思うのが間違っていたのだ。

 脳は肝臓や腎臓と違い、はるかに不可解度が高い。解剖実習で脳を手に取ったことのある医学部出身者でない限り、そんな不可解な臓器ははなはだ気味が悪い。ましてそれが病気だなんて聞いたら、「専門家」に丸投げして後は一目散に逃げだしたくなるのが、人情というものだろう。

 どうやら、精神医療の専門家になればなるほど、人情が、つまりは人の心が、分からなくなってくるというのは、皮肉な話ではないか。

 第二に、そもそも統合失調症が脳の病気だというのは、統合失調症業界の旗印に過ぎず、確定した科学的事実というには程遠いのだ。さらに言えば、製薬企業の広報でしかない、といっておこう。「特定の脳内化学物質(神経伝達物質)の不均衡が、疾患の症状につながると考えられています。薬物療法はこれらの化学物質のバランスをとるために重要な役割を担います」とは、巨大製薬企業ファイザーの広報にもあるフレーズだ。

 最近の説では、神経伝達物質の不均衡は、疾患の原因ではなく数ある症状の一つに過ぎない。

 より真相に迫った説としての神経発達障害説では、次のように説明されている‥‥

「多くの遺伝的リスク要因を有している個人が、エピジェネティックな変化をもたらす多くのストレス要因と合併するときに、(シナプスの)結合の障害という形での異常な情報処理、異常な長期増強(LTP)、シナプスの可塑性の低下、不十分なシナプスの強度、神経伝導物質の制御不全、シナプスの競合的除去の異常などが現れる。この結果として、幻覚、妄想、思考障害のような精神症状が出現する。」(p.170)ここで、ストレス要因に挙げられているのは、「産科の出来事・幼児期の虐待・ウィルスや毒素、マリファナ、外傷体験(例えば、戦争での戦闘)、いじめ」(ibid.)である。
統合失調症の場合に疑われることは、シナプス形成の神経発達過程および脳の再構築が間違ってしまうことである。シナプスは正常では出生から6歳ぐらいまでの間に凄まじい勢いで形成される。脳の再構築は生涯をつうじて起こるが、競合的除去と呼ばれる過程では遅い小児期と思春期の間に最も活発となる。競合的除去およびシナプスの再構築は思春期に達するころからそのおわりまでの間にピークに達する。正常では小児期に存在したシナプスの半分から3分の2だけが大人まで生き残る。精神病の陽性症状の発達(精神病的「破綻」)は競合的除去およびシナプスの再構築がピークを迎えるこの危機的な神経発達期間に続いて起こるので、統合失調症発症の一部の背景としてこれらの過程で考えられる異常に疑いがかけられている」(『ストール精神薬理学』pp.172-173)。
 引用が長くなったが、この脳の再構築エラーの説を下敷きにすれば、脳内化学的不均衡なるものも、原因でなく症状に過ぎないことが納得されるはずだ。

 そして、脳というシステムの精妙さへの畏怖の念が、また、そのシステムの再構築エラーに影響するとされるストレスなるものをいかに科学的に理解すべきかが、いまだ分からない状態にあることへの謙虚の念が、自ずと沸き上がるのを覚えないでいられないのだ。

 統合失調症は治る・普通の病気である・脳の病気である、という、精神医療界の知ったかぶりの三位一体に、完全にスポイルされていない限り。