研究日誌(2023/11/7)『遺伝と平等』「統合失調症の脳病態解明の到達点・未到達点」を読んで

■「統合失調症の脳病態解明の到達点・未到達点」(柳下祥・笠井清登)『医学のあゆみ』(Vol.286,2023.8.5)を読む。

 「症候群に対して対症療法として各困難に対する改善を支える生物学的な治療の開発という問題設定は可能である。根治療法的な生物学的治療の模索よりはむしろ現実的であろう。このように考えれば社会モデルは生物学と対立するものではない。むしろ生物学的な研究に新たなフォーカスを与えるといえる。」(p.527)

 「統合失調症は脳の病気」のキャンぺーンをしつこく張り続けてきた統合失調症業界もとうとう、根治療法の生物学的開発はあきらめたか、という気がする。
 無理もないことだ。脳の病気説で頭脳と資金を1世紀にわたって注ぎ続けても、未だに解決点が見えてこないのだから。
 結局、統合失調症という精神病を解明するには、「精神とは何か」解明できなければならないということだろう。

 次に‥‥

■『遺伝と平等』(キャスリン・ペイジ・バーデン著、青木薫訳、新潮社、2023)を読む。

 目についたところを引用するとー

‥‥もちろん、人生はアンフェアだーー人生の長さである寿命まで含めてそうだ。齧歯類やウサギの仲間から霊長類までさまざまな種において、社会的ヒエラルキーの序列が高い者ほど、より長く、より健康な一生を送る。アメリカでは、最富裕層の男性は、最貧困の男性に比べて、平均に15年ほど寿命が長く‥‥(16頁)

 このあと、男性間の寿命格差についての数値の列挙が続くが、女性の方が男性よりも寿命が長いという明白な事実については、何一つ触れていない。女性である著者にとっては、タブーでもあるのだろうか。

 しかしー

 男女平等をめざすのであればいつかは突き当たる問題ではないだろうか。

 現代社会にあって最高の価値が「生きること」であるならば、寿命の享受権に女男でこれほど格差があることの不合理さは、本当は誰もがひそかに自覚していることに違いないから。

 実際、若い男性の間で、短命の方の性に生まれてしまったことのコンプレクス、不幸感が、なにやら蔓延していることを感じたことがあり、びっくりしたものだった。

 今の日本のような経済面などで男女格差の大きい社会では、持ち出しにくい問題かもしれない。けれど、生命の享受権が少なくしか与えられていないことへの無意識的不遇感と被害者感情が、男女格差の解消にとってネックになりつつあるような気がする。いろんな男女格差問題と、並行して取り組むのも一つのやり方ではないだろうか。

 男性の短命さの原因を明らかにして対策を練ることへの、公的な研究計画の策定なども考えられる。「脳の十年」ならぬ、「寿命の女男格差対策の十年」とかを謳って。

 寿命の格差が解消に向かってようやく、私たちは性別による拘束から脱したと言えるのではないだろうか。今世紀の後半には欧米でまず、直面するであろう問題かもしれない。戦争や地球環境問題の深刻化で、それどころでなくなってしまう可能性もあるかもしれないが。