こころの科学とエピステモロジー、研究ノート:科学的根拠(Evidence)という規範の起源

科学においてエヴィデンスがあるとは、

1.観察の公共性

2.観察の再現性

という二本柱からなると考えられている。けれども、これらを規範として最初に定式化したのが誰であるかは、あまりにも常識になり過ぎて、はっきりしない。

 最近、『精神医学の科学哲学』という本を読んで、それが化学者ボイルであるというヒントをつかんだ。「化学者ボイルがすでに17世紀に、公共性と再現性に相当する規範を提案していたという。「ボイルは王立協会から得られる証言の管理に大きく成功した。この証言管理の方法は次の特徴を備えている。/・名前を明かした個人による実験の目撃。/・これらの個人には、嘘を述べていたことがわかれば失うものがある(誠実さの評判など)。/・実験は追試できるため、証人の嘘が反証される可能性がある(現実的な可能性は低いにしても)。/・証人の増加。」『精神医学の科学哲学』(レイチェル・クーパー著、伊勢田哲治・村井俊哉/監訳、名古屋大学出版会、2015 、pp.250-251)このうち一番目の特徴が公共性、三番目と四番目が再現性の規範に相当するといえる。

 ただし、クーパーは科学史家ではないので、シェイピン, シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ――ホッブズ、ボイル、実験的生活』吉本秀之監訳, 柴田和宏, 坂本邦暢訳, 名古屋大学出版会, 2016(Shapin, S., & Schaffer, S. (1985) Leviathan and the Air-Pump: Hobbes, Boyle, and the Experimental Life. New Jersey: Princeton University Press)を元にしている。

 今、国会図書館でこの本を読んでいるが、なるほど啓発的な本だ。特に、第2章「見ることと信じることーー空気学的な事実の実験による生成」(pp51-98)で一次資料に基づき詳細に論じられている。

「ボイルが提案したのは、事実を確立するのは個々人がもつ信念の集積だということであった。‥‥事実とは、ある人が実際に経験し、自分自身にたいしてその経験の信頼性を請けあい、他の人々に、彼らがその経験を信じることには十分な根拠があると保証するというプロセスの結果としてえられるものであった。このプロセスのうちで根本的だったのが、目撃経験を増加させることであった。経験は、たとえそれが厳密に制御された実験の実施であったとしても、目撃者が一人しかいなければ事実をつくりだすには不十分であった。もそその経験がおおくの人間に拡張されたならば、そして原則的にいってすべての人間に拡張されたならば、そのとき結果は事実となりえた。このため経験は認識論的なカテゴリーであると同時に、社会的なカテゴリーであるともみなされねばならない。実験的知識の基礎をなす要素、また適切に基礎づけられていると考えっれた知識一般の基礎をなす要素は、人為的につくられたものであった。それらをつくっていたのはコミュニケーションと、コミュニケーションを維持しその質を高めるために不可欠だと考えられたあらゆる種類の社会形式だった」(pp.53-54)。

「実験によって生みだされた現象の目撃者を増加させる別の重要な方法は、実験の再現を容易にすることだった。実験の手順の報告は、読者が同じ実験を再現できるようなかたちで書くことができた。そうすることで、遠く離れた地に、直接的な目撃者を生み出すのである。」(p.82)

 これで見ても、スチーヴンスが科学としての心理学とは「他者の心理学」である、と断言したのも、当然という気がする。そしてまた、自己経験から出発する現象学当事者研究の方法論的課題も、はっきりする。2020年8月1日。