アグリッパ・ゆうの読書日記(2023/05/07)『心病むわが子』(アン・デヴソン、堂浦恵津子訳、晶文社、1995)を読む

■表記の本を読む。原著は1991発行で少し古いが、書かれているのは今でも未解決な問題だ。心に残ったくだりを引用しておく。
 なお、言うまでもないが、下記に「分裂病」とあるのは、現在「統合失調症」と呼ばれている疾患である。この名称変更自体は、今は亡き「全家連」が学会に働きかけた成果だというが、成功例として評価すべきだろう。
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警官は病院に電話をした。‥‥「息子が母親をおどかしたり、とんでもないことをしでかすんですよ」
 受話器の向こうからなにやら声が聞こえてきたが、内容は判らなかった。警官がいった。「医者はどこが悪いのかと訊いています」
分裂病なんです」
分裂病だそうです」警官はしばらくむこうの話を聞いてからいった。「医者は分裂病なんてものはないといっています」
 なんという長い夜だろう、ジョナサンの心はきっと恐ろしさでいっぱいだろう。わたしは警官から受話器をつかみとった。このまぬけな医者、非常識な教科書の理論を頭につめこんだこの医者が納得するまでは、何時間でも電話を切らせない覚悟だった。あなたがなにもしてくれなかったら、どんな事態がおきても知りませんからね。‥ (p.167)

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 続いて、1984年のイギリスでのレインとのインタヴューのくだりには、こうある。

‥‥『狂気と家族』(邦訳、みすず書房刊)のなかでレインは、分裂病を患者の家族のコミュニケーションと深くむずびつけて見るという方法をとっているのだ。そしてなかでもとくに重点がおかれているのは親子のあいだのコミュニケーションだ。
(‥‥)
 時代そのものが混乱していたうえに、新しい研究方法が渇望されていた当時の風潮もあったのだろう。新しい精神医学理論の証明にたった十一の症例しか用いられていない事実は、ほとんど批判されなかったらしい。だからこそインタビューのなかでレインが明かした本音にわたしはすっかり仰天した。レインの話によれば、当時、彼らはいわゆる「ふつうの」家庭も調査してみた。その結果、ふつうの家庭のほうが、分裂病者をかかえている家庭よりもさまざまな点ではるかにコミュニケーションが不足していることが判明したというのだ。
 どう考えても、このときのわたしに彼の言葉のもつ重大な意味がじゅうぶんに判っていたとは思えない。気づいたのはかなりあとになってからのことだ。あの場で気づいていたら、わたしはきっと大声で彼につっかかっていたにちがいないーー「どうして、あなたはその結果を公表しなかったのですか?どうしてそのとき、ほんとうのことをいわなかったのですか?あのころ、あなたはまさに神さまのような存在だった。それにひきかえ親たちはみじめな罪人の立場におかれていたんですよ」(pp.405-406)

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 また、次のくだりも。

‥‥病気にたいする専門家の考えかたとじっさいに患者の家族が経験していることとのあいだには、あまりに大きなギャップがある。家族はいまだに同じ抗議をくり返さざるを得ないーー施設からの解放とは、なんら適切なサポートもなしに患者を家庭に、あるいは路頭に追いはらうという意味だったのか、と。(pp.409-410)