祝!高市新首相。1300年ぶりの女性トップリーダーの誕生!

高市早苗首相が誕生しました。
 憲政史上初の女性首相であるだけでなく、日本の歴史を通じても飛鳥時代の持統女帝いらい1300年ぶりの女性トップリーダーの誕生です。
 私は特に高市早苗氏の政治信条に同調するわけではなく、むしろ玉木政権の誕生の方を心待ちしていた方です。けれど、テレビで高市さんの笑顔を眺めているうちに、これって結構すごいことかもしれないと思い始めました。
 いくつか研究会や学会誌の委員をやっていますが、数年前ある人に、「男ばかりじゃないか、ジェンダーバランスが著しく悪い!」と指摘されました。そこで、これはという女性研究者に声をかけたのですが、 次々と断られてしまったものです。無理もないことです。当の女性としては、自分は研究が好きだから研究者をやっているのであって女性の地位向上のためにやっているわけではない、というのが本音でしょうから。だから、最近ようやく一人だけ、引き受けてくれる女性が見つかったときは、涙が出るほどうれしかったものです。それが日本の現状というのに、自ら首相になりたいと言って、実際に夢を実現してしまう女性がいたなんて!感謝感激あめあられです。

 もう一つ。現役時代はけっこう国際学会参加のため主にヨーロッパ諸国に行くことがあったのですが、日本社会の女性の地位の低さへの批判を耳にして悔しい思いをすることが多かったのです。紫式部が男性であると思い込んでいたアメリカ人もいたし、ジャパーニーズ・シントーイムズの主宰神が女神であることや日本女性の平均寿命が世界一であることを説明してビックリされたこともあります。
 でもこれで、小池百合子都知事と合わせて女性リーダーのツーショットがなって、肩身の狭さもかなり軽減しそうです。

■それにしてもマスコミ界に巣食う「女性識者」たちの高市下げは目に余るものがあります。いくら政治信条が違っていてもガラスの天井がアメリカやフランスに先駆けて破られたことに、まず素直に祝意を表すればいいものを(さすがに辻本清美サンはそうしておいてその後に対決姿勢を強調していますが)。
 もちろん野党の女性政治家が批判的になるのは無理もないことです。ガラスの天井を破った第一号が自分ではなかったのですから(!)。でも社民党福島瑞穂党首だけは、都知事選の時のこともあって許しがたいものがあります。

 小池百合子さんが最初に都知事選に立候補した時のこと(2016年)。毎日新聞記者上がりの「野党統一候補」を応援する側に回った福島党首は、宣伝カーでなんと、小池さんは女性ではなく女装したタカ派の男性です、といったことを触れて回っていたのです(私はこの耳で聞いて、アレレ?と思ったものです)。

 参考J-castニュース
 これが、女装への当時の一般の偏見を悪用したトランスジェンダー差別であることは明白でしょう。おまけに、LGBT差別が戒められる今日になっても、当時の言動を謝罪したという話は聞きません。

 こういった件に照らしても、高市さん小池さんが「右」の方だからという理由で誹謗中傷に狂奔する方々の、左=正義、右=悪という、戦後長い間マスコミ界や学術界(?)を支配してきた固定的図式が、もはや何ら通用しないことは明らかです。そんな一次元的図式は、ベルリンの壁崩壊とともに同時崩壊したはずです。そもそもウクライナ戦争で明らかになったことは、極右(=プーチンのロシア)と極左金王朝習近平政権)がついに手を結んだことです。右と左はぐるっと回って一致するのです。それが歴史の教訓です。

リベラル保守こそ日本の進む道

 これからの日本に必要な政治的立場を、私は「リベラル保守」と呼びます。日本は戦後80年かけて西欧諸国と手を取り合って、曲がりなりにもリベラルな社会実現への道を歩みつつあります。でも、地球環境問題一つとっても、これ以上はあまり良くなることは望めそうにありません。せめて私たちのできることは、これ以上悪くしないことです。つまり、現在の社会をなるべく「保守する」ことなのです。それが「リベラル保守」という旗印です。

 最初に書いたように、私はもともと国民民主党の玉木代表に期待していました。数年前、尊厳死協会というところに入会して出た集会で理事の方が、「国民民主党の玉木代表が尊厳死法案を成立させるべきだと言っている」と話したことを聞いて以来のことです。尊厳死の法制化は、死の自己決定権の確立にとっての重要な一歩になるのですから。

 今回玉木さんは、決断できないうちに大魚を逃がしたと悪く言われていますが、態度はそれなりに一貫していると思います。立民党との連立の条件として防衛安保に関して機関決定を求めるのは当然のことです。テレビでコメンターに「棚上げではダメなのですか」と問われて「棚上げしておいてあとで違憲だというのですか」と切り返したのは見事だと思いました。また、自民党との連携については連合の反対で実現しなかったということですが、左翼とは縁を切ったリベラルな組合運動をバックにすることも必要なことです。イギリスの民主主義の実現に当たって労働組合運動の果たした役割の大きさを見ても、明らかです。私自身、現役時代には一期だけですが組合の委員長を務めたのも良き思い出になっています。

 だから、これらの問題を解決して、いつか玉木首相の実現を見たいものです。

 最後に、

アマテラス→卑弥呼女王→持統天皇→という、本来の日本の伝統であった女性トップリーダーの誕生を、心から慶賀申し上げます。

研究日誌(2025/2/28)大学紛争の時代に分析哲学を始めたこと

■『境界性パーソナリティ障害離人症』(有馬成紀著、金剛出版、2013)を読む。

「筆者は代々医者の家系に生まれ‥‥運よく入学したものの‥‥大学入学はちょうど大学紛争の真っ最中であり、左翼系学生による激しいオルグに曝された。この中で離人症は悪化し、さらに40度を超す不明熱を起こし‥‥試験もまともに受けることができなかった。
 そのとき出会ったオルグに負けない思想が、論理実証主義者カルナップやヘンぺルの科学哲学だた。ヴィットゲンシュタインやラッセルなどの分析哲学にのめり込んだが、医学での成績は悪く、何度も離人症が再発した。」(「はじめに」、pp3-4)。

 同感だ。私のばあい左翼のオルグは、学問の自由を守るためのデモに参加しろという誘いで始まった。そのうちマルクス主義の科学性についての議論になったので、科学哲学者ポパーによるマルクス主義疑似科学性批判を持ち出して左翼学生をやりこめたところ、突然に居丈高になって「人民の役に立たない学問の自由など守る必要がない!」と凄まれたものだった。

 現在では日本では分析哲学が大学アカデミズムで盛況を極め、大学紛争時の学生たちが信奉していたマルクス主義哲学など、あとかたもない。当然だろう。マルクス主義哲学の行きつく先のポルポト派(カンボジア共産党毛沢東派)のカンボジアや、もう一つの形態である北朝鮮に学問の自由の影も形もなかった

ことが、白日の下にさらされて久しいのだから。

左翼の亡霊は二度とよみがえらせてはならないのだ。

 

人権侵害雑誌『週刊文春』の廃刊を求める!:フジテレビ問題の大誤報に思う

■フジテレビ経営陣への11時間連続記者会見から一晩明けたと思ったら、『週刊文春』(竹田聖編集長)がフジテレビ社員Aがフジ局アナ(当時)X子さんに連絡して中井氏自宅への来訪を誘ったというのは誤報で、中井氏が直接誘ったのが正しいという訂正記事を出した。

ヤフーニュースによるまとめ

 11時間連続記者会見(という名のマスゴミ暴力団によるつるし上げ)は、フジ社員Aが直接X子さんに連絡したという間違った報道を前提としていたのだから、いったい何だったのかと思わざるを得ない。

 虚報に基づいた「正義の暴走」の恐ろしさを、多くの視聴者は今更ながらまのあたりにしたと言ってよい。

 日頃SNSの「正義の暴走」を批判する側だった「ジャーナリスト」たちは、まさに自分たちこそ正義を盾に気に入らない人々を迫害する、ナチス興隆期のSS(ヒットラー親衛隊)にそっくりだという印象を与えてしまったのだから。

 文芸春秋社は事情を調査の上、記者会見を行ってこの人権侵害雑誌をただちに廃刊すべきである。

 文芸春秋社の廃刊騒動と言えば、20世紀の末にも『マルコ・ポーロ』廃刊騒動があった。「ガス室はなかった」という歴史修正主義を無批判的に取り入れた虚報を出し、多くの広告主から撤退通告を受け、大慌てで廃刊に踏み切った事件だった。

 だから廃刊要求には、文芸春秋の主要広告主へ抗議を送りつけるのが最も効果的だという事だろう。

【付記】なお、私はジャーナリズムには暗いので、参考までにホンモノのジャーナリストによる優れた記事を紹介しておこう。
 沖田臥竜「中居問題を報じた週刊文春が訂正記事を出した背景

 

 

祝!斎藤元彦兵庫県知事選勝利:よくぞマスゴミ権力をあげてのバッシングを跳ね返した!

■11月17日開票の兵庫県知事選は、県議会満場一致で不信任されて失職したはずの前兵庫県知事斎藤元彦氏の劇的な復活劇となった。

 まだ不信任決議以前から、テレビでの連日の斎藤知事叩きに異様さを感じていた。これは報道という名の集団リンチではないかと。

 しかも斎藤氏は、このような目に遭いながらも決して辞めるとは言わず、真っすぐな目を視聴者に向けていた。確固たる信念の持ち主だと思った。

 だから、不信任決議が出る以前から、周りには「ボクは斎藤知事を支持する!」と言って失笑を買ったものだった。

 なぜなら、マスコミによってたかって苛められる方が後になって正しいことが分かり、人気が出たりして来た例を、これまでいくらでも見て来たからだ。

 角栄報道がそうだった。あれほど全国民の敵であるかのようにテレビが連日報道していたにもかかわらず、死後にはうって変わって大宰相あつかいだ。

 鈴木宗男報道の時もそうだった。私は早くから、鈴木宗男支持を周囲に公言して失笑を買っていたものだ。

 ところが獄中でプレイボーイ誌の人生相談を担当し始めてから人気が出て、釈放されてから見事に復活した。今では佐藤優が師と仰いでいた人だという評価が定まりつつある(最近のロシアびいきはいただけないが)。

 SNSの威力だのとマスコミはもっともらしく解説しているが、私はSNSなどやっていないが、あまりのマスコミによるいじめのひどさに、「どんな理由があろうと、いじめられる側ではなくいじめる側が悪い!」「寄ってたかって石を投げられる側に立つ!」という原則を発動させ、斎藤知事支持を打ち出したのだった。

 ネット記事をみると、SNSに無縁のシニア女性でも、似たようなことを言っていたらしい。連日テレビでいじめられる斎藤知事を見て、自分の息子を重ね合わせて可哀そうで涙が止まらず、選挙では斎藤氏に一票を投じたのだという。

 SNSなんて引き合いに出さないで、マスコミ業界人は、自分らの個人への集団リンチこそが、今回の結果につながったのだという事を、謙虚に反省するのがいいのだ。

 マスゴミ権力よ、もう勝手な真似はさせないぞ!今回の知事選での最大の敗者は君たちなのだから。

 

 

 

左翼マスコミによる統一教会バッシングの背景に潜む闇をえぐった問題作を紹介!

■「カルトという蔑称と反カルトに内在するカルト性:定義なき言説と対立の諸相」大喜多紀明『人文×社会』第8号(2022)、71-155

 という素晴らしい論考を見つけました。
『人文×社会』とは、東大の学生・院生が手作りで発行した雑誌ということで、手に入れにくそうですが、幸い著者が自らのブログで順次公開しているので、そこから読めます。

大喜多 紀明 (Noriaki Ohgita) - カルトという蔑称と反カルトに内在するカルト性:定義なき言説と対立の諸相 - researchmap

以下、重要だと思うくだりを、暇をみて引用させていただく積りです。

<工事中>

 

アグリッパ・ゆうの読書日記(2024/01/08):新型コロナウィルス武漢研究所流出説の決定版

■『新型コロナはどこから来たのか: 国際情勢と科学的見地から探るウイルスの起源』 (シャーリ マークソン (著), 高崎 拓哉 (翻訳)、ハーパーコリンズジャパン、2022)を読む。

以前の記事でもふれたが、その後の情勢の進展にともない、いよいよ重要性をます本となったので引用します。
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 惜しいかな通読するには分厚すぎる本なので、最終章のみ目を通すことをお勧めします。その最終章から抜粋しておきます。

「‥‥何人かの著名な科学者は、新型コロナウィルスは人間に感染するのに完璧なデザインをしているように見えることを懸念している。またそれを併せて、武漢ウィルス研究所周辺で、ある時期に普通でない、説明のつかないことが集中して起こっていた事実もある。それらを考えれば、新型コロナが施設で研究されていたウィルスではないかと疑うのは合理的なことだ。」(pp.462-463)
 じっさい、評者は最初から疑っていました。武漢のウィルス研究所から800メートルしか離れていない市場から感染が広がったという定説では、偶然の一致が過ぎるから。中国寄りとされるWHOの再調査要求さえ習近平政権が撥ね付けたというのも、それだけますます、国家存亡の大秘密を死守しようという姿勢が窺われて、疑念をかきたてます。
 ところがこの、武漢ウィルス研究所流出説は、テレビでは殆ど報道されません。NHKで2020年末にとりあげたことがあったが、その時はトランプ大統領のいかにも凶悪そうな写真と一緒という具合で、最初から陰謀論を印象付けようとする情報操作が見え見えという、ひどいもの。お陰で日本人の多くは未だに、陰謀論を信じているらしい。このようなマスコミの自己規制ぶりの裏事情も、本書のお陰で良く見えるようになりました。

*以下の記事も参照のこと。

gendai.media

研究日誌(2023/11/7)『遺伝と平等』「統合失調症の脳病態解明の到達点・未到達点」を読んで

■「統合失調症の脳病態解明の到達点・未到達点」(柳下祥・笠井清登)『医学のあゆみ』(Vol.286,2023.8.5)を読む。

 「症候群に対して対症療法として各困難に対する改善を支える生物学的な治療の開発という問題設定は可能である。根治療法的な生物学的治療の模索よりはむしろ現実的であろう。このように考えれば社会モデルは生物学と対立するものではない。むしろ生物学的な研究に新たなフォーカスを与えるといえる。」(p.527)

 「統合失調症は脳の病気」のキャンぺーンをしつこく張り続けてきた統合失調症業界もとうとう、根治療法の生物学的開発はあきらめたか、という気がする。
 無理もないことだ。脳の病気説で頭脳と資金を1世紀にわたって注ぎ続けても、未だに解決点が見えてこないのだから。
 結局、統合失調症という精神病を解明するには、「精神とは何か」解明できなければならないということだろう。

 次に‥‥

■『遺伝と平等』(キャスリン・ペイジ・バーデン著、青木薫訳、新潮社、2023)を読む。

 目についたところを引用するとー

‥‥もちろん、人生はアンフェアだーー人生の長さである寿命まで含めてそうだ。齧歯類やウサギの仲間から霊長類までさまざまな種において、社会的ヒエラルキーの序列が高い者ほど、より長く、より健康な一生を送る。アメリカでは、最富裕層の男性は、最貧困の男性に比べて、平均に15年ほど寿命が長く‥‥(16頁)

 このあと、男性間の寿命格差についての数値の列挙が続くが、女性の方が男性よりも寿命が長いという明白な事実については、何一つ触れていない。女性である著者にとっては、タブーでもあるのだろうか。

 しかしー

 男女平等をめざすのであればいつかは突き当たる問題ではないだろうか。

 現代社会にあって最高の価値が「生きること」であるならば、寿命の享受権に女男でこれほど格差があることの不合理さは、本当は誰もがひそかに自覚していることに違いないから。

 実際、若い男性の間で、短命の方の性に生まれてしまったことのコンプレクス、不幸感が、なにやら蔓延していることを感じたことがあり、びっくりしたものだった。

 今の日本のような経済面などで男女格差の大きい社会では、持ち出しにくい問題かもしれない。けれど、生命の享受権が少なくしか与えられていないことへの無意識的不遇感と被害者感情が、男女格差の解消にとってネックになりつつあるような気がする。いろんな男女格差問題と、並行して取り組むのも一つのやり方ではないだろうか。

 男性の短命さの原因を明らかにして対策を練ることへの、公的な研究計画の策定なども考えられる。「脳の十年」ならぬ、「寿命の女男格差対策の十年」とかを謳って。

 寿命の格差が解消に向かってようやく、私たちは性別による拘束から脱したと言えるのではないだろうか。今世紀の後半には欧米でまず、直面するであろう問題かもしれない。戦争や地球環境問題の深刻化で、それどころでなくなってしまう可能性もあるかもしれないが。